『いだてん』あれこれ「ぼくたちの失敗」2019-11-26

2019-11-26 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリンムピック噺~』第44回「ぼくたちの失敗」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/044/

前回は、
やまもも書斎記 2019年11月19日
『いだてん』あれこれ「ヘルプ!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/19/9178696

田畑は、オリンピックから除外される。その無念のこころのうちを描いていた回であった。

見ていて思うことを、次の二点ほど書いておきたい。

第一には、オリンピックと政治。

田畑は回想していた。オリンピックに政治がかかわるようになったのは、昭和の戦前からのこと、それも、自分自身が関与してのことであった、と。オリンピックに政治がかかわるべきなのかどうか、ここは難しい問題があるだろう。純粋なスポーツの祭典であるべきオリンピックの理念と、現実の国際政治のかけひき。この間にあって、時として、人は理想をかかげ、また、時としては、現実の政治の世界での判断を優先する。

この回で描いていたのは、オリンピックという国際的な行事にふりまわされる、人間の悲喜劇であったのかもしれない。それは、田畑のみならず、敵対することになる川島についてもいえることである。今日の目からふりかえれば、成功したことになる東京オリンピックであるが、その開催にいたる経緯は、実に生臭い人間ドラマがあった。ここには、誰が最終的な勝利者であるかは関係ない。ただ、その政治のなかで演じられる人間のドラマがある。その人間のドラマを、この『いだてん』は描き出している。

また、この人間のドラマの影には、スポーツとナショナリズムの問題がある。このことを描きながらも、特に日本のナショナリズムについて、肯定的でもなく、逆に、否定的でもなく、ただそのようなものとしてスポーツがある、ここのところを、このドラマは巧みに描いていると思う。

第二には、晩年の志ん生。

年取った志ん生が、弟子の五りんに向かって言っていた。人間には「潮時」というものがある、と。これは、ここまで描いてきた志ん生の芸人人生をふりかえってのことばかもしれない。だが、同時に、これは、オリンピックにかかわってきた、田畑の人生のかえりみても言えることである。時運のながれのなかにあって、自分の「潮時」を判断できるかどうか、これが人生にとって重要な意味を持つ。

これから、田畑はどのようにオリンピックにかかわっていくことになるのか。その「潮時」をどう判断することになるのか。

以上の二点が、この回を見て思ったことなどである。

ところで、ドラマの中ででてきたオリンピックの五輪音頭は、私も憶えている。見ていてなつかしく思ったものである。次回のタイトルは「火の鳥」である。田畑の復活はなるであろうか。楽しみに見ることにしよう。

追記 2019-12-03
この続きは、
やまもも書斎記 2019年12月3日
『いだてん』あれこれ「火の鳥」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/03/9184379