『門』夏目漱石2019-11-29

2019-11-29 當山日出夫(とうやまひでお)

門

夏目漱石.『門』(新潮文庫).新潮社.1949(2002.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/101006/

続きである。
やまもも書斎記 2019年11月23日
『それから』夏目漱石
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/23/9180287

『三四郎』から始まる、漱石の長編小説群のなかで、あるいは一番好きな作品かもしれない。その理由としては、この作品にある生活感とでもいうようなものである。他の長編作品が、どちらかといえば、社会の上層にある知識階級とでもいうべき人びとのことを描いているにの比べて、この『門』の主人公(宗助)は、今でいえば、一介のサラリーマンである。

若いときに大学には通ったこともある。が、お米という女性に出会うことによって、その人生が変わることになる。地方を流転した後、東京にもどって、崖下のあまり日のあたらないうらぶれた小さな借家に住んでいる。この宗助を主人公として、東京での細々とした日常生活が、実に情感豊かに描かれている。

無論、この作品は、『それから』に続くものであり、そのテーマをうけついでいるのだが、そんなに自己の内面を見つめて深刻になるということがない。

この小説の終わりの方で、宗助は、鎌倉の禅寺に参禅するのだが、ただ一通りのことですんでしまう。ここで、自分自身のこころの奥深くを探るということもできないまま、東京にもどってくることになる。

漱石の作品のなかでは、もっとも安心して読める作品といっていいのかもしれない。宗助とお米は、いたって平凡ながらも、こころやすらかに暮らしていくことになる。そんなに、社会的地位が高くなるわけでもない、大金持ちになるのでもない、平々凡々たる日常である。その日常が、非常に平明な文章で描かれる。参禅による悟達でもない、また、深刻な知識人の悩みでもない、しかし、どこか不安をかかえる生活ではあるのだが、それも無事に日々の生活をおくれることが何よりの安楽である。私は、この作品に、漱石の、ある意味でのこころのやすらぎのようなものを感じるのである。

追記 2019-12-06
この続きは、
やまもも書斎記 2019年12月6日
『彼岸過迄』夏目漱石
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/06/9185705

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