『いだてん』あれこれ「火の鳥」2019-12-03

2019-12-03 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん』第45回「火の鳥」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/045/

前回は、
やまもも書斎記 2019年11月26日
『いだてん』あれこれ「ぼくたちの失敗」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/26/9181413

東京オリンピック開催の一歩手前のところまでこぎつけた。見ていて印象に残ったのは、次の二点。

第一に、田畑の頑張り。

表向きは、オリンピックから手を引いたことになるのだが、「裏」の事務総長として、オリンピック開催に向けて様々に画策する。見ていると、この田畑政治のような人物がいたからこそ、一九六四年の東京オリンピックは、成功することができたのだろうと思える。

「おれのオリンピック」と言い切れるような人間がいたからこその、東京オリンピックであったことになる。冷静に考えれば、これはどこかおかしい。オリンピックについては、やはり正規の手続きをふんで、公明正大にことが運ぶのでなければならない。

しかし、このドラマは、見ていて、つい田畑政治に肩入れしたくなる。田畑のオリンピックだからこそ、成功させてやりたいという気分になる。この意味では、田畑政治という人物を、ドラマの後半の主人公にもってきたことは功を奏したと言っていいのだろう。

第二に、女子バレーボール。

オリンピックのために青春を犠牲になどしていない……このように選手に言わせてはいるのだが、しかし、実際のオリンピックはどうであったろうか。田畑は回想する……以前の人見絹枝や前畑秀子の時代のように「日本」を背負って戦う時代ではなくなっているのだ、と。

これは見ていて違和感があった。一九六四年の東京オリンピックこそ、その選手が、「日本」を背負っていたのではないだろうか。(これは、その当時、小学生であった私の思い出としても、感じるところである。)それは、今日においても続いていることだと思う。メダルを期待される選手、競技については、やはりマスコミの報道が、違っている。

あるいは、これは、脚本(宮藤官九郎)の理想を、無理に投影した表現であったのかもしれない。オリンピックとは、そのようなものであって欲しいとの願いの表れであったのではないだろうか。

以上の二点が、見ていた思ったことなどである。

次回、いよいよ東京オリンピックの開催になるようだ。その舞台裏をどのようにこのドラマは描くことになるのか、楽しみに見ることにしよう。

2019年12月2日記

追記 2019-12-10
この続きは、
やまもも書斎記 2019年12月10日
『いだてん』あれこれ「炎のランナー」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/10/9187465

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