『こころ』夏目漱石2019-12-20

2019-12-20 當山日出夫(とうやまひでお)

こころ

夏目漱石.『こころ』(新潮文庫).新潮社.1952(2004.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/101013/

続きである。
やまもも書斎記 2019年12月12日
『行人』夏目漱石
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/12/9188301

この作品を読むのも、何回目になるだろうか。やはり読むたびに、いろいろ思うことがある。

先生の奥さんは、いったいどう思っているのだろうか……ふとこんなことが気にかかる。最後、死を選ぶことになる先生は、その奥さんに対しては、秘密をたもとうとしている。私への手紙においても、その最後で、秘密を守ってくれるようにたのんでいる。

「私は妻には何も知らせたくないのです。妻が己の過去に対してもる記憶を、なるべく純白に保存して置いて遣りたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、凡て腹の中にしまって置いて下さい。」(p.327)

そして、その奥さんがどのように作中で描かれるかというと、女学生ことばをつかう人物として出てくる。つまり、『三四郎』の美禰子や、『それから』の三千代、『門』のお米……これらの女性のイメージをもっている。このような女性の造形については、漱石は、『三四郎』から一貫していると言っていいのかもしれない。

この女性のイメージが変わるのは、次の『道草』になってからである。そして、女学生ことばをつかわなくなった女性については、漱石は、そのこころのうちを描くことになる。『明暗』がそうである。

また、今回、新潮文庫版で順番に読んで来て、この作品になって、「明治」という時代を感じさせる作品であると思う。あるいは、「明治の精神」とでも言った方がいいだろうか。『猫』以来、日本の近代については、常に批判的であった漱石が、この『こころ』にあっては、「明治」という時代の精神を肯定している。偽物の文明開化を批判することはあっても、自らが生きてきた「明治」という時代の終焉を見届けた漱石にとっては、その時代を、自らの人生の上にひきうけざるをえないと考えたのかもしれない。

『こころ』が読まれていく限り、日本の近代における「明治」の持つ意味を、たえず読者に問いかけることになる、このように思ってみる。「明治」という時代は、明治天皇の時代であった。そして、近代……それがいかに西欧の偽物にすぎないとしても……を達成した時代でもあった。「明治」を経て後、漱石は、その近代のなかに生きざるをえない人間を描くことになる。続く『道草』、さらには『明暗』においては、近代の人間として生きざるをえない人びとを描くことになる。今は、このように思ってみる。

追記 2019-12-21
この続きは、
やまもも書斎記 2019年12月21日
『道草』夏目漱石
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/21/9191933