『太平記』岩波文庫(二)2020-01-27

2020-01-27 當山日出夫(とうやまひでお)

太平記(2)

兵藤裕己(校注).『太平記』(二)(岩波文庫).岩波書店.2014
https://www.iwanami.co.jp/book/b245753.html

続きである。
やまもも書斎記 2020年1月20日
『太平記』岩波文庫(一)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/01/20/9204142

『太平記』を読んでおきたいと思って読み始めたのだが、第一冊目(岩波文庫)を読んだのが、昨年(二〇一九)の暮れのこと。それから、一ヶ月以上たってしまった。その間、宮尾登美子の本など読んだりしているうちに、今になってしまった。(宮尾登美子は、今も読んでいるところである。)

この二冊目は、集中的に読んだというのではないので、はっきりいって、物語のストーリーがすんなり頭にはいるということがなかった。各巻には、その概要が書いてあるので、それを読んでから本文を読んでいる。だから、まったく途方にくれるということはなかったのであるが、しかし、この岩波文庫本のように親切に、その巻の概要を書いておいてくれなければ、いったい誰が誰に対して何をして、どのような歴史の流れがあってという、大局的な理解が及ばなかったにちがいない。

ようやく、この年度の大学の講義も終わったので、これからは、『太平記』の残りを集中的に読んでみようかと思っている。

第二冊目を読んだ印象としては……いったい、この物語の登場人物たちは、いったい何のために行動しているのであろうか、という素朴な疑問がある。

第一に、忠義のためには、あまりにもあっけなく、あっさりと自害してしまう。そんなに簡単に死んでしまわなくてもいいのにと思うようなところで、死んでしまう。

第二に、これは、上記のことと相反することなのだが、すぐに降参してしまう。作中の用語では、「降人」と書いてある。

以上の二つ、自らの命をかけて忠義をつらぬくところと、逆に、あっさりと降参してしてしまうところと、どうも、このあたりが、読んでいてもどかしい。いったい、これらの登場人物はいったい何を考えて戦っているのだろうか、わけがわからなくなる。

これも、歴史の方の知識をふまえて、歴史的にどのような立場の人間がどのように行動しているのか、はっきり認識できて読むならば、あるいは面白いとことなのかもしれないと思って見る。ここは、とりあえず、全巻(六冊)を通読してから、改めて『太平記』関連の本を読んで、さらに、再度、『太平記』にもどって読みなおしてみたいと思っている。

ところで、岩波文庫の解説を読んで思うことだが、確かに、『太平記』の文章は、空虚でもあり、グロテスクでもある。しかし、国語学的、日本語学的な目で読んでみるならば、非常に面白いところがある。そして、中世の日本語における文章、あるいは、物語る論理とでもいおうか……これについては、いろいろと思うところがある。『平家物語』の文章とも違う。無論、『今昔物語集』などとも違っている。また、中世の「御伽草子」の類とも異なる。日本語の文章史という観点からは、きわめて興味深い。

岩波文庫の校注を読んで、たぶん国語学、日本語学の方面からの助言を得ているだろうことは推測できるのだが、特にどのように参照したとは明示的に書いていない。このあたり、国語学、日本語学の方面からのアプローチに、これらか期待したいところである。

2020年1月16日記

追記 2020-02-03
この続きは、
やまもも書斎記 2020年2月3日
『太平記』岩波文庫(三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/02/03/9209750