『一絃の琴』宮尾登美子2020-02-07

2020-02-07 當山日出夫(とうやまひでお)

一絃の琴

宮尾登美子.『一絃の琴』(講談社文庫).講談社.2008(講談社.1978)
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000137809

続きである。
やまもも書斎記 2020年2月6日
『陽暉楼』宮尾登美子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/02/06/9210721

宮尾登美子は、この作品で直木賞をとった。

だが、そんなことは、今ではもうどうでもいいことのように思える。直木賞作品というようなことからは独立して、この作品は生き続けてきている。読まれ続けてきている。講談社文庫でも、1982年に刊行している。それを改版して文字を大きくしたものが、今の本である。

宮尾登美子の文学作品は、伝統的な芸事に題材をとったものが多い。この意味では、『きのね』などの系譜に属するといえるだろう。

ただ、私は、宮尾登美子の作品の特質、なかんずく直木賞をとったこの作品には、次のことを読みとっておきたいと思う。

第一には、人間の生老病死を冷静にみつめるまなざしであり、そこからうまれる喜怒哀楽のさまざまな情感を、きめこまやかに描いている。特に、老いと、病、とか、死とか、普通の人間が生きている限りさけてとおることのできないことについて、冷酷なまでに、心の奥底にまでわけいって描いている。

第二には、その人間の心の奥底にある、影のようなものである。たしかに宮尾登美子の作品の登場人物は、がんばっている。だが、そのがんばりのこころの奥底には、なにかしら影がある。場合によっては、それは競争心のようなものであったり、嫉妬であったりもする。

以上の二つの点において、宮尾登美子の文学作品は、普遍性を獲得しているといっていいだろうと思う。

一般に、宮尾登美子の作品を評して、がんばっている女性を描いたという意味のことがいわれる。文庫本などの解説はたいていそうである。たしかに、これまで、読んできた作品(再読をふくむ)においては、主人公の女性は、がんばっている。『蔵』の烈しかり、『陽暉楼』の房子しかりである。

しかし、宮尾登美子の作品に感じるのは、主人公の女性のがんばり、苦労、だけではない。その生き方にともなう、人生のさまざまな場面での情感……それには、時として邪悪とでもいうべき心情もふくまれる……を、きめこまやかに丁寧に描いていることが、魅力として感じるところである。

さらに、蛇足で書くと、この作品は、再読である。今回、この作品を読みなおしてみるまで、寺田寅彦が高知出身であるという認識がなかった。この作品をみて、あらためて、寺田寅彦の出身地を知った。

それから、以前、この作品を読んだのは、わかいときのこと、単行本でだったか、文庫本でだったか、もうわすれてしまっている。今、新しい文庫本で読んでみて、「一絃琴」の音色が気になった。今は、便利な時代である。YouTubeで「一弦琴」で検索すると、その演奏の映像と音楽が、パソコンで見ることができる。なるほど、こういう音の楽器だったのか、こんな音楽だったのか、興味深いものがあった。

2020年1月4日記

追記 2020-02-08
この続きは、
やまもも書斎記 2020年2月8日
『伽羅の香』宮尾登美子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/02/08/9211435