『熱源』川越宗一2020-02-15

2020-02-15 當山日出夫(とうやまひでお)

熱源

川越宗一.『熱源』.文藝春秋.2019
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163910413

今年の第162回の直木賞の作品である。

事実をもとにしたフィクション……ということなのだが、よく書けていると感じる。思うところを記せば、次の二点ぐらいになるだろうか。

第一には、この本を肯定的に読んでみて……近代における極東アジアの北海道、そして、サハリン(樺太)、また、東欧におけるポーランド、これらの地域における人びとにとって、民族とは何か、国家とは何か、祖国とは何か、文明とは何か、を問いかける作品になっていることである。

ポーランド出身の元流刑囚が、極東アジアの地で、アイヌの人びとに出会う。現代の我々は歴史の知識として知っている、ポーランドがヨーロッパの歴史の中で強国に翻弄されてきたことを、また、極東アジアにおいて、アイヌの人びとが、近代になって、独立国を作ることなく、存亡の危機にあることを(無論、日本の国内においてまったくアイヌの人びとがいなくなってしまったということはない。)

第二には、これは否定的に読んでみるのだが……では、極東アジアの近代ということを考えてみて、ロシアや日本の近代化ということは、それほど悪いことだったのだろうか。いや、日本の近代を考えるうえでは、世界の歴史の流れのなかで、やむをえない一つの生き方として「文明」ということがあった、こう考えることもできよう。この作品における、国家と近代文明とかの描き方は、どうも平板な印象がある。

以上の二点が、この本を読んで感じるところである。

直木賞の受賞ということで、この作品は、多く読まれることになるだろう。この作品の問いかけているもの、国家とは、文明とは、民族とは……という問いかけは、まさに今の、これからの、世界における重要な問題である。

アイヌというと、つい日本の北海道のアイヌのことを思ってしまう。だが、近代の極東アジアの歴史をたどってみるならば、アイヌの人びとは、北海道のみならず、サハリン(樺太)でも暮らしていた。そして、サハリン(樺太)の歴史は、日露戦争を契機として、日本の統治下となり、その後は、ソ連の統治下となり、現代ではロシアが領有している。そこには、多くの民族が、先住民として暮らしてきたという歴史がある。この本は、そのような人びとの歴史を、多方面から相対化して見るということができるだろう。

また、読んで思ったことであるが、この本は日本語で書かれた小説である。だが、作品中の登場人物は、日本語で会話しているのではない。なかには、日本のシーンもある。大隈重信が出てきたり、二葉亭四迷が出てきたり、白瀬矗が南極探検に行ったり、このような場面では、日本語の会話である。しかし、サハリンを舞台にしたところ、あるいは、ポーランドを舞台にしたところでは、登場人物は、いったい何語で話しているのだろうか。ロシア語であったり、アイヌ語であったり、ポーランド語であったり、のようである。

そういえば、岩波文庫で『アイヌ神謡集』が出たのは、私の学生のときだったろうか。知里幸恵という名前を覚えている。本もさがせば、まだどこかに残っているはずである。

2020年2月13日記