『阿部一族・舞姫』森鷗外 ― 2020-05-01
2020-05-01 當山日出夫(とうやまひでお)
森鷗外.『阿部一族・舞姫』(新潮文庫).新潮社.1968(2006.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/102004/
続きである。
やまもも書斎記 2020年4月17日
『山椒大夫・高瀬舟』森鷗外/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/04/17/9236215
新潮文庫で読んでいる森鷗外作品の二冊目。次の作品が収録してある。
舞姫
うたかたの記
鶏
かのように
阿部一族
堺事件
余興
じいさんばあさん
寒山拾得
どれも昔に読んだことのある作品である。すっかり忘れてしまっていたものもあれば、覚えていたものもある。が、やはりこれらの作品のなかでは、「舞姫」であろう。
「舞姫」は明治二三年の作品である。日本文学史で言えば、二葉亭四迷の「浮雲」が書かれたのが、明治二〇年。ここから言文一致体の小説がスタートしたと考えてみるならば、その刊行の後に、文語文で書かれた「舞姫」ということになる。まあ、この数年のちがいは、ほとんど無視してもいいようなものかもしれないが、明治なって近代文学の成立に重要な位置をしめる作品が、刊行されたころということになる。
読むのは久しぶりである。最初に読んだのは、中学か高校のころだったろうか。学生のときにも読んだように覚えている。それ以来である。何十年ぶりかになるはずである。
「舞姫」は、読み継がれるべき作品であると感じる。これは、その主人公の青年の行動に肩入れするということではないが……しかし、考えてみれば、この主人公はかなり身勝手な人物ではあるが……読んでいて、硬質な文語文で語られるこの小説のなかに浸って読んでいることに気付く。良くも悪くも、これもまた明治の青年のあり方であったのだろう。そして、これは、明治になって近代日本が成立していくなかで、くぐり抜けなければならなかった一つの試練の物語であるようにも読める。
かつての日本において、西欧の異国に学び、そして、恋をして、結局選ぶことになったのは、文明開化ということなのかもしれない。このような時代がかつてあったということを確認するためにも、この小説は読まれてもいいだろう。無論、近代という時代の流れのなかにあった、一人の男性の悲恋の物語としても読める。
なお、新潮文庫版は、基本は、現代仮名遣い、新字体であるが、「舞姫」については、歴史的仮名遣いで本文が作ってある。ルビも歴史的仮名遣いになっている。これは、文語文で書かれた「舞姫」の文章を読むには、ふさわしい処置と言っていいのかもしれない。
それから、「寒山拾得」。これは、『文章読本』(三島由紀夫)で言及されている作品である。読んでみて、「水が来た」という一句には目がとまる。文豪鷗外ならではの練達の文章というべきであろう。
2020年4月27日記
https://www.shinchosha.co.jp/book/102004/
続きである。
やまもも書斎記 2020年4月17日
『山椒大夫・高瀬舟』森鷗外/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/04/17/9236215
新潮文庫で読んでいる森鷗外作品の二冊目。次の作品が収録してある。
舞姫
うたかたの記
鶏
かのように
阿部一族
堺事件
余興
じいさんばあさん
寒山拾得
どれも昔に読んだことのある作品である。すっかり忘れてしまっていたものもあれば、覚えていたものもある。が、やはりこれらの作品のなかでは、「舞姫」であろう。
「舞姫」は明治二三年の作品である。日本文学史で言えば、二葉亭四迷の「浮雲」が書かれたのが、明治二〇年。ここから言文一致体の小説がスタートしたと考えてみるならば、その刊行の後に、文語文で書かれた「舞姫」ということになる。まあ、この数年のちがいは、ほとんど無視してもいいようなものかもしれないが、明治なって近代文学の成立に重要な位置をしめる作品が、刊行されたころということになる。
読むのは久しぶりである。最初に読んだのは、中学か高校のころだったろうか。学生のときにも読んだように覚えている。それ以来である。何十年ぶりかになるはずである。
「舞姫」は、読み継がれるべき作品であると感じる。これは、その主人公の青年の行動に肩入れするということではないが……しかし、考えてみれば、この主人公はかなり身勝手な人物ではあるが……読んでいて、硬質な文語文で語られるこの小説のなかに浸って読んでいることに気付く。良くも悪くも、これもまた明治の青年のあり方であったのだろう。そして、これは、明治になって近代日本が成立していくなかで、くぐり抜けなければならなかった一つの試練の物語であるようにも読める。
かつての日本において、西欧の異国に学び、そして、恋をして、結局選ぶことになったのは、文明開化ということなのかもしれない。このような時代がかつてあったということを確認するためにも、この小説は読まれてもいいだろう。無論、近代という時代の流れのなかにあった、一人の男性の悲恋の物語としても読める。
なお、新潮文庫版は、基本は、現代仮名遣い、新字体であるが、「舞姫」については、歴史的仮名遣いで本文が作ってある。ルビも歴史的仮名遣いになっている。これは、文語文で書かれた「舞姫」の文章を読むには、ふさわしい処置と言っていいのかもしれない。
それから、「寒山拾得」。これは、『文章読本』(三島由紀夫)で言及されている作品である。読んでみて、「水が来た」という一句には目がとまる。文豪鷗外ならではの練達の文章というべきであろう。
2020年4月27日記
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