オンライン授業あれこれ(その三)2020-05-09

2020-05-09 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年5月2日
オンライン授業あれこれ(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/02/9241775

いろいろと見ていると、世の中のかなりの大学でオンライン授業という方向に動いている。そして、また、同時に、その課題なども見えてきたというところだろうか。

私の場合、四月から五月にかけて、普通の授業はできないだろう、オンラインでやるしかないという判断になったとき、考えてみて、結局、リアルタイムでのライブ配信(ZOOMやYouTubeなど)は、使わないということにした。文書(教材プリント)の配布と、レポートという方針でのぞむことにした。このあたりのことを書いてみたい。

オンライン授業ということでまず思い浮かんだのは、学生のコンピュータリテラシのことである。昨年のことになるが、新学期の最初に次のようなことを聞いてみた……レポートを縦書きの文書で書けますか、書式設定としては、10.5ポイントの明朝体をつかって、40字40行の設定、これができますか……その結果としては、大部分の学生が、できないというものであった。それでも、前期の終わりのレポートの提出のときには、提出した学生はワープロで書いてきた。しかし、見ると、書式の設定ができていないものも、いくつか目についた。

自分の家、部屋に、自分用のパソコンがあって、固定光回線などでインターネットにつながっている、プリンタも持っている、このような学生が、どれほどいるだろうかと思う。これは、大学によっても違いがあるにちがいない。そうは思ってみるのだが、現実の問題として、私が教えている学生について考えてみるならば、学生のコンピュータやインターネット接続の環境は、かなり貧弱なものであるといっていいだろう。

ここ数年、出席は、スマホで取ることになっている。その時間の決まった数字を示して、それを入力する。が、これも、スマホを持っていないという学生が中にはいる。(出席は、参考までに確認するので、成績には関係ないとしてある。)

自分の部屋にインターネットにつながったパソコンが無い、また、スマホしかもっていない、あるいは、スマホも持っていない、このような学生の存在を無視することはできない。

このような状況をふまえるならば、リアルタイムのライブ配信は、無理があるとすべきだろうと考えた。

以前に書いたことをくりかえし書いてみるならば……より多くの学生が、より公平に、より無理なく、より継続的に……そして、それを担当する教員の側でも同じように、継続可能な方式は何であるか……このことを考えてみた。

さらに書くならば、「より多くの学生」が、ということは考慮してみるが、「すべての学生」がということは考えていない。すべての学生ということを考えるならば、根本的に、大学入学前からの準備として、パソコンとインターネット接続の準備ということを、説明しておかなければならない。大学生になれば、パソコンとインターネット接続ぐらいは当たり前と思っているような大学もあるだろうが、私の教えているところでは、どうもこれは無理があると判断せざるをえない。

もし、自分のパソコンが家にないとしても、大学のPC教室のものが利用できるなら、それでなんとかなるだろう。

それから、ライブ配信ということについては、私は、この方式はとらないことにした。

大学での教育ということについては、場の共有ということが重要であることは理解しているつもりである。ある決められた時間に、ある決められた場所(教室)で、授業に参加する、この行為自体に意味があることになる。

これはこれで十分にわかっているつもりではいる。しかし、同時に、このような既定の学校というシステムについてこれない学生もまた少なからずいることも確かなことである。この意味では、オンデマンド方式で、自分の好きな時間に、アクセスして教材を読むことができる、という方式の方が、ふさわしいといえるかもしれない。

オンライン授業になって、時間と場所の制約から解放されるということを、ここでは、むしろ前向きにとらえてみたかった。

たまたま、教えている科目は、日本語史ということで、文字とか表記それに文章のことなどを考えることにしている。この場合、じっくりと文章を読んで理解する、そして、自分でも文章を書ける、ということが重要になってくる。この観点から、音声配信はせずに、教材プリントの配布ということにした。

これは、音声配信……音声データつきのPowerPointスライド……ということも考えてみたが、学生のコンピュータ環境を考えると、これもちょっと無理があると判断した。スマホしか持っていない学生には、ハードルが高いかと思ったのである。

ただ、これも科目によることだとも思う。日本語学でも、音声、音韻、アクセント、というようなことを教えるには、音声データの送信ということが必須になってくるにちがいない。また、語学などは、どうしても、音声データは必用だろう。

たぶん、科目によっていろんな方針があっていいのだろうと思う。リアルタイムでのライブ配信もあれば、オンデマンドの教材送信もあってよい。結局、総合的に、いろんな方式のオンライン授業があるなかで、学生は学んでいけばいいのだと思う。この意味では、画一的に、同じキャンパスの教室に学生を集めて授業するという従来の考え方を、考え直す機会になるのかとも思う。

画一性から多様性へ、この流れがオンライン授業によって現実のものとなってきていると思うのである。

2020年5月8日記

追記 2020-05-16
この続きは、
やまもも書斎記 2020年5月16日
オンライン授業あれこれ(その四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/16/9247182