『麒麟がくる』あれこれ「越前へ」2020-05-19

2020-05-19 當山日出夫(とうやまひでお)

『麒麟がくる』第十八回「越前へ」
https://www.nhk.or.jp/kirin/story/18.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年5月12日
『麒麟がくる』あれこれ「長良川の対決」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/12/9245737

美濃での斎藤道三の死をうけて、光秀は越前へ逃げることになる。この回から、越前編ということらしい。見ていて思ったことなど書くと、次の二点ぐらいだろうか。

第一には、武士とは何であるかということ。

越前の朝倉のもとに身を寄せた光秀一行は、ともかくも住まいを見つけることができたようだ。ここで、光秀は述懐する。武士とは何であるのか。武士の誇りとは何であるのかと。

そう思ってみるならば、これまでの大河ドラマは、その多くは主人公が武士、および、その周辺の人物である。戦国時代はもちろんのこと、幕末を舞台にした作品でも、明治維新をなしとげた武士の視点から描かれたものが多かったと思う。これらのドラマを通して、それぞれの作品において語りかけてきたものは、武士とは何であるのか、という問いであったかとも思う。

光秀の場合はどうだろうか。武士とは戦において戦うものである。だが、戦の無い世の中にしなければならないとも、思う。そのような世の中にあって、武士の存在意義とは何であるのか。それを、光秀は、誇りをもって生きるものとしている。

美濃の国の明智の領地を離れて越前に逃げ延びてきた光秀にとって、自分をささえる武士の理念は、誇りということになるのだろう。美濃を離れてしまった今では、領地を守ることに何の意味も無い。ただ、武士として戦乱の世の中を生きていくだけである。

第二には、信長のこと。

信長は、信勝と対立することになる。結果としては、信長が信勝を殺してしまうことになるのだが、さて、この信長という人物は何を考えているのだろうか。尾張の国を平定することだけを考えているのではなさそうである。

信長は、また信長なりに、戦乱の時代を生き抜いていく算段をこらしているように思える。ただ、それは、あまりに非情で冷酷な判断をともなうものでもある。そして、その信長の背後によりそっているのが、帰蝶である。信勝との一件も、どうやら、帰蝶がたくらんだことのようにも思えてくる。

以上の二点が、この回を見て思ったことなどである。

この回において、光秀と信長の人生が交わるということはない。これからの展開で、どのように、このふたりの生き方が交錯することになるのだろうか。武士としての理想を追求する光秀と、冷酷非情な信長、この二人の生き方が、どのような歴史のドラマとして描かれることになるのだろうか。そして、そこに帰蝶は、どう関係してくるのか。

撮影が中断しているとはいえ、あとしばらくは放送が続くようである。次回の展開を楽しみに見ることにしよう。

2020年5月18日記

追記 2020-05-26
この続きは、
やまもも書斎記 2020年5月26日
『麒麟がくる』あれこれ「信長を暗殺せよ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/26/9250638