『エール』あれこれ「紺碧の空」2020-05-24

2020-05-24 當山日出夫(とうやまひでお)

『エール』第8週「紺碧の空」
https://www.nhk.or.jp/yell/story/week_08.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年5月17日
『エール』あれこれ「夢の新婚生活」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/17/9247572

音楽家のドラマであるからといって、一つの曲のことをめぐって一週間が進行するという構成は、あまりないのかもしれない。この週は、「紺碧の空」の一週間であった。

ここで描いていたことは、次の二点だろうか。

第一に、裕一の作曲家としての気持ち。

西洋音楽には自信がある。音楽には、自分というものを出したいと思っている裕一。しかし、それでは、人が聞いてくれる音楽を書くことができない。人のもとめるものにこたえるのでなければ、作曲家としてやっていくことはできない。

このことに裕一はようやく気付くことになる。早稲田の応援部が、何をもとめているのか、その声に耳を傾けることで、曲を書くことができた。ここからが、作曲家としての再スタートということになるのだろう。

第二には、その裕一をささえる音。

いわゆる内助の功というのとはちょっと違うかもしれないが、裕一の作曲家としての姿勢をささえることになるのが、音であった。音自も音楽の道をあゆんでいる。だが、それと同時に裕一の妻である。その夫が音楽家として、何が必用であるのかを、一番分かっている。それを助けるのが、音の役割ということになるようだ。

以上の二点がドラマの展開のポイントかと思う。

ところで、私は、塾員であるので、「若き血」はよく知っている。だが、「紺碧の空」は、耳にしたことはあるが、はっきりいってよく知らないといってよかった。しかし、早稲田の学生、卒業生が、この曲にこめている思いというのは、伝わってくるものがある。それは、塾生、塾員が、「若き血」に感じるものと共通するところがあるのだろう。

ただ、こういう感覚というのは、慶應とか早稲田に学んだ経験のある人間にしか、分からないとこであるのかもしれない。が、この週の脚本は、この感覚の機微をたくみに捕らえていたように思える。

次週は、音楽家としての裕一の新たな展開があるようだ。楽しみに見ることにしよう。

2020年5月23日記

追記 2020-05-31
この続きは、
やまもも書斎記 2020年5月31日
『エール』あれこれ「東京恋物語」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/31/9252509

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