『麒麟がくる』あれこれ「信長を暗殺せよ」2020-05-26

2020-05-26 當山日出夫(とうやまひでお)

『麒麟がくる』第十九回「信長を暗殺せよ」
https://www.nhk.or.jp/kirin/story/19.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年5月19日
『麒麟がくる』あれこれ「越前へ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/19/9248280

この回を見て思ったことなど書いて見る。次の二点ぐらいだろうか。

第一には、光秀の生き方。

歴史の結果として、光秀は、戦国大名として「天下」をねらうということにはなっていない。(これは、一般的な見方だろうが。)ただ、本能寺の変で信長を討つことにはなる。

「天下」をめざすのではない光秀にとって、戦乱の世を生きるというのは、どういう意味があったのであろうか。このあたりの屈折したとでもいうべき光秀の心理が、どうにももどかしく感じるところがある。以前の『真田丸』とか『おんな城主直虎』では、登場人物の心のうちがもっと分かりやすく描かれていたように思う。故郷である明智の地へのパトリオティズム(愛郷心)もないようだし、かといって、誰か主君につかえてその忠誠心で行動するというのでもないようだ。

だが、この今ひとつよくわからない光秀の行動の原理、心のうち、というものが、あるいは、このドラマの面白さであるのかもしれないとは思う。

第二は、「天下」ということ。

まだ、このドラマでは、「天下」を手中にするということは出てきていない。これから、信長、秀吉、家康といった面々が歴史の表舞台に登場して、「天下」をめぐって覇権をあらそうということになるのだろう。

その前の段階である。「天下」をおさめるのは将軍の役目ということになる。だが、その将軍には、力がない。大名同士の争いを止めさせるだけの実力がそなわっていない。

この無力な将軍に見切りをつけるのが、信長ということになるのかもしれない。信長に「天下」ということが視野にはいってくるのは、どういう経緯によってということになるのだろうか。「天下」をおさめるには、まず武力ということになるのだろうが、まだ信長は、尾張の大名にすぎない。

また、美濃を手にした義龍は、美濃の国のことしか眼中にはない。「天下」ということが見えていないようだ。そして、結果としては、「天下」をめぐる争いの前に、歴史から退場してしまうことになる。

以上の二点が、この回を見て思ったことなどである。

さらに書いてみるならば、信長もまた、単に戦乱と武略に生きる戦国武将ということではない。その母(土田御前)から、嫌われ孤独で屈折した心理状態にある。そんな信長のことを一番に理解しているのが、帰蝶なのかもしれない。

次回、今川、それから家康が登場することになるようだ。放送も次回はまだつづくとのこと(6月7日まではあるようだ。)。楽しみに見ることにしよう。

2020年5月25日記

追記 2020-06-02
この続きは、
やまもも書斎記 2020年6月2日
『麒麟がくる』あれこれ「家康への文」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/06/02/9253305