『源氏物語』(1)桐壺・帚木・空蝉・夕顔2020-06-29

2020-06-29 當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物語(1)

阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男(校注・訳).『源氏物語』(1)桐壺・帚木・空蝉・夕顔.小学館.1998
https://www.shogakukan.co.jp/books/09362081

小学館のテクストで『源氏物語』を読んでおきたいと思って手にした。「古典セレクション」として一六冊で刊行されている。もとになっているのは、新編日本古典文学全集である。それを、本文、校注、現代語訳、付録までふくめて、体裁をあらためて再編集したものである。(たぶん、内容的には同じだと思っている。)

現代では、この小学館のテクストが、最も一般的な『源氏物語』だろうと思う。ただ、私は、これまで、この本で通読するということをしてこなかった。それは、現代語訳が邪魔なのである。無用というのではないが、特になくてもいい。しかし、注だけでは意味のとりにくところがあると、そこは現代語訳を見るようにつくってある。本文を読んで、注を見て、それから、対応する現代語訳の箇所を探して読んで、これが煩わしいのである。

しかし、このテクストでも『源氏物語』を通読しておきたいと思う。国立国語研究所のコーパスで、『源氏物語』を検索することができる。この本文に採用されているのが、小学館の本である。現代における最も普通のテクストして、読んでおくことにしたいと思う。

第一冊目には、「桐壺」「帚木」「空蝉」「夕顔」をおさめる。

読んで思うこととしては、次の二点だろうか。

第一には、「桐壺」の完成度の高さである。これが、『源氏物語』という長大な物語の最初の巻であることは意識して読むことになるのだが、これはこれとして、独立してすぐれた作品になっていると感じるところがある。

『源氏物語』の成立論については、諸説あることは承知しているつもりだが……といって、『源氏物語』を専門にしているというわけではないので、最新の研究動向などにはうといのだが……たぶん、「桐壺」の巻からそのまま順番に、現在に伝わる五四帖が書かれたということはないであろうと、私は考える。はたして紫式部は、『源氏物語』の全体を構想したうえで、「桐壺」から書き始めたのであろうか。

第二には、「夕顔」の巻の短篇として面白さである。

『源氏物語』は、長大な長編作品ではあるが、中に短篇的な作品を多くふくんでいる。そのなかにあって、「夕顔」はきわだって独立性が高く、また、これだけ読んでも面白い。

下層階級の女性をふとしたことから見初める貴公子。そして、どこか荒れ果てた屋敷につれていく。そして、その屋敷の亡霊に取り殺されてしまう……たぶん、このような先行する説話的な話しがあったのだろう。それを、『源氏物語』という作品のなかの一部として、また、後に出てくる玉鬘の出生の物語として、これをこのような形でまとめあげた手腕は、実に見事なものであると感じる。

以上の二点が、第一冊を読んで思うことなどである。

ここは覚悟をきめて、小学館の本で『源氏物語』を最初から順番に読んでいくことにしたい。

2020年6月7日記

追記 2020-07-02
この続きは、
やまもも書斎記 2020年7月2日
『源氏物語』(2)若紫・末摘花・紅葉賀・花宴
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/02/9263919

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