『失われた時を求めて』(1)第一篇「スワン家のほうへⅠ」プルースト/高遠弘美訳2020-08-15

2020-08-15 當山日出夫(とうやまひでお)

失われた時を求めて(1)

プルースト.高遠弘美(訳).『失われた時を求めて』第一篇「スワン家のほうへⅠ」(光文社古典新訳文庫).光文社.2010
https://www.kotensinyaku.jp/books/book110/

『失われた時を求めて』を全巻通読したのは、二年前のことになる。ある日、ふと思い立って読んでみたくなった。その時点で、岩波文庫版は一二冊目までが刊行であった。(現在では、全巻完結している。)光文社古典新訳文庫版もあったが、全巻そろっていない。結局、二年前の時は、岩波文庫で既刊分を読んで、続きを集英社文庫版で読んだのであった。

やまもも書斎記 2018年11月1日
『失われた時を求めて』岩波文庫(1)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/01/8986844

新たに光文社古典新訳文庫版で読んでみて思うことは、次の二点ぐらいだろうか。

第一には、これは刊行されたとき、かなりセンセーショナルな内容だったろうと思われること。

近現代のフランス文学史にはうとい。この作品が刊行された当時の世評がどうであったかは知らないのだが、おそらくは、一九世紀の文学からは突出している。特に自然主義文学と比べてみて、レベルの違う小説の作り方になっているところを感じる。

また、この第一冊目に出てくる、同性愛の描写など、その当時にあっては、かなり大胆な表現であったろう。

第二に、意識についての意識であること。

このことは、以前にこの作品を読んでいて感じたことだが、この『失われた時を求めて』は、心理小説ではない。心のうちの意識の影をみている、メタレベルの書き手の意識の存在というものがある。このことを、この第一冊目を読んで強く感じた。

以上の二点が、光文社古典新訳文庫版で、再度読んでみて思うことである。

訳者はこう書いている……「さて、いま、読者のみなさまは一九一三年の暮れのパリにいる。(中略)ただ、マルセル・プルーストという初めて目にする作家の『失われた時を求めて』「スワン家のほうへ」という書名にどことなく引かれて、五百二十八ページもある分厚い一冊を手に取って、最初のページを開いて立ち読みを始める。」訳者前口上、pp.11-12

このようなあらたな気持ちで、この訳を読んでいってみようかと思う。まだ、全巻はそろっていないのだが、既刊分だけでも読んでおきたい。

訳が変わると、作品のもっている雰囲気も変わる。岩波文庫の吉川一義訳とは、またちがった趣がある。強いて好みを言うならば、この高遠弘美訳の方が、より詩的なイメージが強いと言っていいだろうか。

COVID-19で世の中がなんとなく落ち着かないときである。こんなときこそ、古典というものをじっくりと読んでみたくなる。

2020年7月12日記

追記 2020-08-21
この続きは、
やまもも書斎記 2020年8月21日
『失われた時を求めて』(2)第一篇「スワン家のほうへⅡ」プルースト/高遠弘美訳
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/21/9280633