『この世界の片隅に』(下)こうの史代2020-08-28

2020-08-28 當山日出夫(とうやまひでお)

この世界の片隅に(下)

こうの史代.『この世界の片隅に』(下).双葉社.2008
https://www.futabasha.co.jp/booksdb/book/bookview/978-4-575-94223-1.html?c=20108&o=&

続きである。
やまもも書斎記 2020年8月24日
『この世界の片隅に』(中)こうの史代
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/24/9281607

下巻まで読んでくると、一挙にいろんなことが起こる。晴美の死、すずが負傷して右手を失う、広島への原爆投下、終戦、そして、戦後の世の中……いっきにものがたりが進む。

下巻を読んで思うことは次の二点だろうか。

第一には、特にすずの負傷、晴美の死、終戦という流れのなかで、渦巻くことになるどうしようもない複雑な感情。これを、原作の漫画では、実にたくみに表現してあると感じる。あるいは、このあたりは、アニメやTVドラマでは、どうしても表現が難しいところかもしれない。錯綜した感情の交錯を、漫画というメディアでうまく表現してある。

第二には、それでもつづく日常生活。終戦から、戦後の混乱の時期を経ても、毎日の生活があることにはかわらない。そこにすずが、どのような感情をいだくことがあっても、それとは別に日々の生活のいとなみがある。この毎日の生活のこと、普通の生活をつづけていくことを、この漫画は、細やかに描いている。

以上の二点が、原作の漫画の下巻を読んで思うことなどである。

やはり漫画には、漫画の表現がある。無論、アニメやドラマにも、それぞれの良さがある。しかし、原作の漫画に作者が込めた思いは、漫画の各コマを一つ一つ目で追って読んでいくことによってしか、味わうことのできないものだと思う。

例えば、終戦のシーンで、一コマだけで描かれているが、太極旗が登場する。このことの説明は、作者は、特にしていない。しかし、この一コマの意味には、大きなものがある。

この作品は、ごく「普通」の生活をおくった一人の人間が、時代の流れのなかで、自分の「居場所」を確認していくことの意味を問いかけているのだと思う。

また、折りをみて読みかえしてみたい作品の一つである。

2020年8月25日記

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