『麒麟がくる』あれこれ「京よりの使者」2020-09-01

2020-09-01 當山日出夫(とうやまひでお)

『麒麟がくる』第二十二回「京よりの使者」
https://www.nhk.or.jp/kirin/story/22.html

前回(第二十一回)は、
やまもも書斎記 2020年6月9日
『麒麟がくる』あれこれ「決戦!桶狭間」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/06/09/9255650

ほとんど三ヶ月ぶりぐらいになる『麒麟がくる』である。久々の放送再開を見て思ったことなど書いてみる。放送、収録の中断の間に、脚本を書きかえたのだろうか。ふりかえってみると、桶狭間の合戦で一つの区切りがついたことになっている展開であった。

見ていた思ったことは、次の二点である。

第一には、この回ぐらいから、光秀が歴史の表舞台に出てくるのだろうということ。

これまで、美濃においては、光秀は、歴史の目撃者でしかなかった。動乱の時代において、「麒麟」がくる時代をまちこがれる理想は持っているものの、自らの意志でその歴史の中に身を投ずるということはなくすごしてきた。

それが、将軍(義輝)から声をかけられて、京に赴くことになる。戦国の京である。その動乱の渦中にとびこむことになる。将軍の意をうけるかたちで、信長の上洛を推挙することになる。おそらくは、これをきっかけにして、光秀は歴史のなかに躍り出ることになるのであろう。

第二には、戦国の京の都。

歴史の結果を今のわれわれは知っている。足利将軍は、義輝の次の義昭で終わってしまうことを。そして、そこに深くかかわるのが、織田信長であり、そこには光秀の姿もあったことになる。はたして、光秀にとって、信長は「麒麟」をつれてくる人物たりえるのだろうか……このあたりが、おそらくは、本能寺の変へとつながっていく筋であるように思われる。

以上の二つが、放送再開の回を見て思ったことなどである。

また、この回で、光秀の娘である、たまが登場してきていた。後のガラシャになる。戦国の時代にあって、悲劇を生きた女性の一人といっていいのだろう。

さらには、伊呂波太夫と近衛家との結びつきが明らかになってきた。駒も、新しい人生を歩みはじめるようだ。虚実とりまぜて、戦国の時代をこれからどのように描いていくことになるのか、再開後のこれからの放送を楽しみに見ることにしよう。

余計なことかもしれないが、近衛関白という公家は登場するが、そのことばは普通のことば……いわば時代劇語とでいっておこうか……であった。特に京ことば、公家ことば、というふうにはなっていなかった。

2020年8月31日記

追記 2020-09-15
この続きは、
やまもも書斎記 2020年9月15日
『麒麟がくる』あれこれ「義輝、夏の終わりに」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/09/15/9295610