『失われた時を求めて』(5)第三篇「ゲルマントのほうⅠ」プルースト/高遠弘美訳2020-09-14

2020-09-14 當山日出夫(とうやまひでお)

失われた時を求めて(5)

プルースト.高遠弘美(訳).『失われた時を求めて』第三篇「ゲルマントのほうⅠ」(光文社古典新訳文庫).光文社.2016
https://www.kotensinyaku.jp/books/book244/

続きである。
やまもも書斎記 2020年9月5日
『失われた時を求めて』(4)第二篇「花咲く少女たちのかげにⅡ」プルースト/高遠弘美訳
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/09/05/9292290

光文社古典新訳文庫版で五冊目である。

収録してあるのは、第三篇「ゲルマントのほうⅠ」である。

この冊は、いろいろ事情があって、ちょっと読むのに時間がかかってしまった。そんなに大冊ということもないのだが、忙しいと、なかなかとりつきにくい。だが、一度、本を手にとると、プルーストの文学世界のなかにはいりこむことになる。

この冊においても、夢や眠りの描写が印象的である。そして、その表現は屈折している。眠りを描写しようとすると、眠らずにいることになる。眠ってしまっては、眠りを描くことはできない。そのギリギリのところの描写がみられる。

印象に残る登場人物としては、ゲルマント公爵夫人。読書ガイドによると、このあたり、ゲルマント公爵夫人への思いを描いたところは、時空を超越して、場面設定がなされているとのことである。なるほどそうかと思う。いや、そもそも『失われた時を求めて』という作品自体が、全体として、時空を越えたところになりたっていると感じる。

それから、サン・ルーのこと。一九世紀末のフランスの軍隊がどのようなものであったか、よく分からないで読んでいるのだが、読んでいくと、私とサン・ルーとのやりとりに、興味深いものがある。

また、やはり、ドレフェス事件のことがある。この冊において、たびたび言及されている。近代フランス文学にうとい私としては、ドレフェス事件といっても、せいぜい名前を知っている程度のことなのだが、『失われた時を求めて』を読むと、この事件が、その当時の人びとに、大きな衝撃を与えていたであろうことが、読み取れる。

光文社古典新訳文庫の『失われた時を求めて』は、既刊分は、残り一冊となった。夏休みの時間のとれる間に、読んでしまおうと思う。

2020年8月19日記

追記 2020-09-19
この続きは、
やまもも書斎記 2020年9月19日
『失われた時を求めて』(6)第三篇「ゲルマントのほうⅡ」プルースト/高遠弘美訳
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/09/19/9296905