『麒麟がくる』あれこれ「羽運ぶ蟻」2020-09-29

2020-09-29 當山日出夫(とうやまひでお)

『麒麟がくる』第二十五回「羽運ぶ蟻」
https://www.nhk.or.jp/kirin/story/25.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年9月22日
『麒麟がくる』あれこれ「将軍の器」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/09/22/9298001

この回のキーワードは、「大きな国」そして「上洛」というあたりだろうか。この回では、「天下」ということばは出てきていなかったと思う。

覚慶は還俗して義昭となる。その義昭をかついで上洛し、次の将軍にすえることになるのかどうか、このあたりの駆け引きが見どころであったというべきだろう。

信長は美濃をおさめることになった。そして、次の目標がなんであるかまだ定まってはいないようだ。光秀と語っていた。「大きな国」をつくるのであると。たぶん、この「大きな国」が、今後の天下統一という流れになっていくのだろうと思う。

また、越前の朝倉も上洛の機会をうかがっている。それには、義昭が、都合のよい人物であるかどうかの見極めが必用でもある。ただ、その朝倉自身が、これからの天下をになうに足る人物であるかどうかは、微妙といったところであろうか。

今日の我々は知っている。この義昭が、足利の最後の将軍になることを。その最後の将軍をめぐって、各地の大名、京の人びとをまきこんで、権謀術数のうずまく展開となるのであろう。

ところで、義昭……であるが、この名前、ワープロは「よしあき」から変換してくれる。そう難しい漢字でもないようだが、「昭」という字がつかってあることに、あらためて気付いたところでもある。この「昭」の字、昭和の年号に使われたこともあって、非常にポピュラーな漢字になっているが、しかし、実際の使用例は限定的である。今日でも、人名、固有名詞以外では、たぶん目にすることはないだろうと思う。中国に目をやると、王昭君などで使う文字として出てくるのだが。

また思ったことなのだが、ドラマとしては架空の人物である駒の部分が、どうかなという気がしてきている。戦国の世を、武士ではない、いわゆる庶民の視点が見る人物として設定されているのだろうが、これが、まさに戦国の世の終わり、最後の将軍の登場というあたりになって、どうも存在意義が薄いような感じがする。

ともあれ、ここにきて光秀の思いもまたゆれているようだ。戦乱の無い世の中を作りたいという思いがあることは分かる。しかし、では具体的にどうすればいいのか、光秀の生き方を決めかねているように見える。今のところでは、朝倉も、信長も、そうあてにできるようではない。

太平の世をもたらし、大きな国をつくることのできる本当の人物はだれなのか、このあたりが、最後の本能寺の変につながっていくような気がしている。

次週は、将軍義昭をめぐっていろいろと動きがあるようだ。楽しみに見ることにしよう。

2020年9月28日記

追記 2020-10-06
この続きは、
やまもも書斎記 2020年10月6日
『麒麟がくる』あれこれ「三淵の奸計」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/10/06/9302708