『麒麟がくる』あれこれ「三淵の奸計」2020-10-06

2020-10-06 當山日出夫(とうやまひでお)

『麒麟がくる』第二十六回「三淵の奸計」
https://www.nhk.or.jp/kirin/story/26.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年9月29日
『麒麟がくる』あれこれ「羽運ぶ蟻」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/09/29/9300247

この回では、「天下」もまた「麒麟」もことばとしては出てきていなかった。そのかわりのキーワードになるのが「上洛」ということばであった。

越前に身をよせている義昭。この義昭にしたがうかたちで、上洛し、京の都を平定するものが、すなわち、次の時代の覇権をにぎるということなのだろうが、では、誰が、それをはたすのか。各地の大名は、自分のところの領地を治めるのに手一杯で、とても上洛できそうではない。かろうじて、上洛できそうなのが、朝倉と織田という展開であった。

とりあえず越前にいる義昭としては、朝倉をたのむことになる。しかし、その朝倉に上洛する気概が見られない。領国内、また、朝倉の一族も、いろいろとトラブルをかかえているようだ。

結局は、朝倉を見限って、織田をたのむことになるのだが、そこで計略があったことになる。

ただ、見ていて思ったことであるが、朝倉から織田に乗り換えるのに、あのような謀殺がはたして本当に有効であり、また、必用であったのだろうか。ちょっとこのあたり、説得力に欠ける筋書きのように思えた。

また、興味深かったのは、伊呂波太夫という存在。公家でもない、武家でもない、といって、庶民というわけでもない。当時の身分や社会秩序からは、離れた存在としてあるようだ。この伊呂波太夫の目をとおすことによって、その戦国の時代を、ある意味で距離をおいて見ることができるようになっている。

このドラマは、これまで意図的に「天下」ということばをつかってきていないと思って見ている。「天下」の覇者になるのは、いったい誰なのかをめぐって、これまでの多くのドラマが作られてきたことを思うと、ここは、かなり意図的にそのように作っているのだろうと思う。

はたして、義昭の上洛は果たせるのか……歴史の結果としては分かっていることなのだが、ここは、このドラマの次の展開を楽しみに見ることにしよう。

次回以降、義昭の上洛をめぐってさらに物語は大きく動くようだ。楽しみに見ることにしよう。

2020年10月5日記

追記 2020-10-13
この続きは、
やまもも書斎記 2020年10月13日
『麒麟がくる』あれこれ「宗久の約束」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/10/13/9305222