『麒麟がくる』あれこれ「新しき幕府」2020-10-20

2020-10-20 當山日出夫(とうやまひでお)

『麒麟がくる』第二十八回「新しき幕府」
https://www.nhk.or.jp/kirin/story/28.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年10月13日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/10/13/9305222

この回のポイントは次の二点だろうか。

第一には、幕府の権威と武力。

義昭が将軍になり幕府は再興される。それは、確かに権威はある。だが、武力の面で実力がない。武力の後ろ盾をもたない幕府は、容易に危険にさらされることになる。また、将軍義昭は、将軍としては、いかにもたよりない。まあ、人物としてはいい人なのであるが、武家の棟梁としては、どうかと思うところがある。そのような義昭を支えるものとして、光秀がおり、また、信長がいるということになる。

この幕府の権威と武力の観点から、もはや幕府の旧来の権威など意味がないと信長が判断したとき、室町幕府にかわる新しい「大きな世」の構築ということになるのだろうと思う。それが、「天下」ということにつながっていくのだろう。

第二には、摂津晴門。

旧態依然たる室町幕府を象徴するかのごとき人物である。おそらく、光秀が、そして、信長が、この晴門を不要と思ったときに、次の世の中になるのかもしれない。しかし、そうやすやすと引き下がる人物ではなさそうである。

以上の二点が、この回を見ていて思ったことなどである。

ところで、ここでも、帰蝶は登場していなかった。これは、さびしい。信長の天下への野望の裏に存在するものとして、帰蝶に期待しているのだが、どうなるだろうか。

また、駒とか、東庵とか、このあたりの架空の人物について、ここにきて、今一つ活躍の場がないように思えるのだがどうだろうか。室町幕府の末期の戦乱の世の中、特に京の町をどう見るのか、いわゆる庶民の視点からの描写がもっとあってよいように思える。

次回、京の都でさらに動きがあるようだ。楽しみに見ることにしよう。

2020年10月19日記

追記 2020-10-27
この続きは、
やまもも書斎記 2020年10月27日
『麒麟がくる』あれこれ「摂津晴門の計略」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/10/27/9310089