『麒麟がくる』あれこれ「摂津晴門の計略」2020-10-27

2020-10-27 當山日出夫(とうやまひでお)

『麒麟がくる』第二十九回「摂津晴門の計略」
https://www.nhk.or.jp/kirin/story/29.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年10月20日
『麒麟がくる』あれこれ「新しき幕府」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/10/20/9307613

この回にいたってようやく、「天下」ということが正面に出てきたように思う。「天下」を制するものは誰か、このことがドラマの主題に上り始めたというところだろうか。

見ていて思ったことは、主に次の二点。

第一に光秀の愚直さ。

光秀は所領を得ることになるが、それは正規のものではなかった。光秀は、摂津晴門に直談判することになる。だが、おたがいの意図するところはすれちがうようだ。

しかし、そもそも、戦国時代にあって、土地の所有、所領とはいったいなんであったのだろうか。その地を、実効支配するものこそが支配権を持っていたと考えるべきではないのかとも思う。この意味では、光秀の故郷の美濃の明智の里は、本当はいったい誰の所有ということになるのだろうか。

だが、将軍義昭につかえる光秀としては、幕府の権威のもと、諸大名や寺社の権謀術数がうずまく京の都で、なんとか筋をとおそうとしている。このような愚直さが、あるいは、後の本能寺の変への布石なのかもしれない。

第二に駒と伊呂波太夫。

ともにドラマとしては虚構の人物である。そして、どちらも、当時の身分秩序のなかにあって、その範囲外のところで自由に生きているようである。とはいえ、駒が、いきなり将軍に直に会ったりするシーンは、ちょっとどうかなと思うところがないではないが。

伊呂波太夫が面白い。戦国末期の世の中を、どこか冷めた目で見ている。そして、帝と朝廷への尊崇の念を持っている。これが、どうやら光秀に影響を与えていくことになるようだ。そして、朝廷への尊崇の念が、信長との関係においてどのように展開することになるのか、興味深いところでもある。

以上の二点が、この回を見ていて思ったことなどである。

次回、久々に帰蝶の登場となるようだ。楽しみに見ることにしよう。

2020年10月26日記

追記 2020-11-03
この続きは、
やまもも書斎記 2020年11月3日
『麒麟がくる』あれこれ「朝倉義景を討て」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/03/9312628