『ロビンソン・クルーソー』デフォー/唐戸信嘉(訳) ― 2020-10-29
2020-10-29 當山日出夫(とうやまひでお)
デフォー.唐戸信嘉(訳).『ロビンソン・クルーソー』(光文社古典新訳文庫).光文社.2018
https://www.kotensinyaku.jp/books/book281/
『文学こそ最高の教養である』の本を読んでいる。
この作品、読むのは何十年ぶりかになる。読んだのは、子どものときである。小学生だったか、中学になっていたか。読んだのは覚えている。たぶん、子ども向けに翻案した縮約版ということになるのであろうが、どの本であったかは、今となっては確かめようがない。
面白い本であるということは思っていた。また、非常に著名な作品でもある。あらすじなどについては、いまさら書くほどのこともないだろう。
読んで思ったことなど書いてみる。次の二点ぐらいだろうか。
第一には、不撓不屈の物語であること。無人島にたどりついた一人の人間のサバイバル生活である。いろんな生活の工夫もあり、大冒険ということもある。が、とにかく読んで(今になって、新しい翻訳で読んで見てもであるが)非常に面白い作品であることはたしかである。
第二には、やはり書かれた時代を感じるということ。白人至上主義、キリスト教至上主義というものが見られる。当然ながら、敵として出てくるのは文明化していない野蛮人である。このような点については、今日の価値観からするならば、幾分の留保をつけて理解すべきところになる。そのような価値観の時代に書かれた作品ということで理解しておけばいいのだろうと思う。
以上の二点が、読んで思ったことなどである。
この作品も、『文学こそ最高の教養である』を読んで、そこに載っている本を読んでみようと思い立たなければ、手にすることなくすぎてしまったにちがいない。
『ロビンソン・クルーソー』は、一八世紀のはじめの作品である。日本でいえば、まだ江戸時代のはじめのころ。元禄の時代がおわってしばらくころのことになる。その時代に、英国において、このような作品が書かれていたということは、ある意味で驚きであり、再認識したところでもある。だからこそ、その時代の制約ということも配慮して読む必用がある。
また、今日の判断からするならば、いかにも話しがうまくできすぎていると感じないではない。だが、これは、小説なのである。いや、近代になって小説という文学の形式がうまれるその萌芽期以前の作品というべきだろうか。近代的なリアリズムの観点では、どうかなと感じるところがないではないが、しかし、そのようなものをとりはらって、物語としての面白さが群をぬいている。
2020年10月11日記
https://www.kotensinyaku.jp/books/book281/
『文学こそ最高の教養である』の本を読んでいる。
この作品、読むのは何十年ぶりかになる。読んだのは、子どものときである。小学生だったか、中学になっていたか。読んだのは覚えている。たぶん、子ども向けに翻案した縮約版ということになるのであろうが、どの本であったかは、今となっては確かめようがない。
面白い本であるということは思っていた。また、非常に著名な作品でもある。あらすじなどについては、いまさら書くほどのこともないだろう。
読んで思ったことなど書いてみる。次の二点ぐらいだろうか。
第一には、不撓不屈の物語であること。無人島にたどりついた一人の人間のサバイバル生活である。いろんな生活の工夫もあり、大冒険ということもある。が、とにかく読んで(今になって、新しい翻訳で読んで見てもであるが)非常に面白い作品であることはたしかである。
第二には、やはり書かれた時代を感じるということ。白人至上主義、キリスト教至上主義というものが見られる。当然ながら、敵として出てくるのは文明化していない野蛮人である。このような点については、今日の価値観からするならば、幾分の留保をつけて理解すべきところになる。そのような価値観の時代に書かれた作品ということで理解しておけばいいのだろうと思う。
以上の二点が、読んで思ったことなどである。
この作品も、『文学こそ最高の教養である』を読んで、そこに載っている本を読んでみようと思い立たなければ、手にすることなくすぎてしまったにちがいない。
『ロビンソン・クルーソー』は、一八世紀のはじめの作品である。日本でいえば、まだ江戸時代のはじめのころ。元禄の時代がおわってしばらくころのことになる。その時代に、英国において、このような作品が書かれていたということは、ある意味で驚きであり、再認識したところでもある。だからこそ、その時代の制約ということも配慮して読む必用がある。
また、今日の判断からするならば、いかにも話しがうまくできすぎていると感じないではない。だが、これは、小説なのである。いや、近代になって小説という文学の形式がうまれるその萌芽期以前の作品というべきだろうか。近代的なリアリズムの観点では、どうかなと感じるところがないではないが、しかし、そのようなものをとりはらって、物語としての面白さが群をぬいている。
2020年10月11日記
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