『麒麟がくる』あれこれ「朝倉義景を討て」2020-11-03

2020-11-03 當山日出夫(とうやまひでお)

『麒麟がくる』第三十回「朝倉義景を討て」
https://www.nhk.or.jp/kirin/story/30.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年10月27日
『麒麟がくる』あれこれ「摂津晴門の計略」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/10/27/9310089

信長はいよいよ「天下」をめざして行動するようになる。

この回を見ていて思ったこととしては、次の二点ぐらいだろうか。

第一には、正親町天皇。

近年の大河ドラマで、天皇が登場してきていたというと、『八重の桜』で孝明天皇が登場していたのを思い出す。戦国時代ドラマではどうだろうか。あまり天皇が登場してきていないように覚えている。

そのなかにあって、正親町天皇の登場は異色であるといっていいかもしれない。しかも、貫禄と気品のある天皇の姿であった。ただ、歴史上の正親町天皇という存在がどのような天皇であったか、その詳しいことはあいにくと知らない。戦国末期、「天下」をめぐって大名たちが覇権をあらそう時代にあって、「天皇」という存在をまもりぬくことになった。

あるいは、このドラマにおいては、正親町天皇こそが最大の策士であるのかもしれない。

これは、日本の歴史において、天皇とは何か、幕府、将軍とは何か、という問いかけにも通じることなのであろうが、ここのところを、脚本はたくみに描いていると感じる。

第二には、駒と東庵。

とも架空の人物である。どうやら、その当時の身分秩序を超越したところで生きているようである。駒は将軍と仲良しであるし、東庵は天皇と碁を打ったりしている。この架空の登場人物については、いろいろ評価の分かれるとこかと思う。

駒と将軍のことは、無くてもいいようにも思える。が、二人の仲を描くことによって、将軍義昭がどのような人物であったか、鮮明になっていることも確かかもしれない。

また、天皇と東庵の関係もおもしろい。身分秩序の混乱期ではあったろうが、そこにおいて、天皇と昵懇に話せる人物として登場してきている。あるいは、この東庵という人物を設定することによって、天皇を描くことができたと見るべきかもしれない。

以上の二点が、この回を見て思ったことなどである。

帰蝶が、久々の登場であった。信長の妻として堂々として、また品があったように感じる。これから、信長の生き方にどのようにかかわってくることになるのであろうか。

それにしても、朝廷も、幕府も、その枢要の人物は、いかにも頼りなく、あるいは、権謀術数にたけているともいえる。このような京の都にあって、これから光秀は、どのように生きていくことになるのであろうか。また、信長の朝倉との戦は、どうなるのか。(歴史の結果は分かってはいるのだが)ここは、ドラマとして、どのように描くことになるのか、楽しみに見ることにしよう。

2020年11月2日記

追記 2020-11-10
この続きは、
やまもも書斎記 2020年11月10日
『麒麟がくる』あれこれ「逃げよ信長」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/10/9315019

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