『ソクラテスの弁明』プラトン/納富信留(訳)2020-11-09

2020-11-09 當山日出夫(とうやまひでお)

ソクラテスの弁明

プラトン.納富信留(訳).『ソクラテスの弁明』(光文社古典新訳文庫).光文社.2012
https://www.kotensinyaku.jp/books/book156/

これは、確か若いときに読んだはずである。だが、もうすっかり忘れてしまっている。『文学こそ最高の教養である』の本を読もうと思って、新しい本で読んでみることにした。そう分厚くもない文庫本である。本文の「ソクラテスの弁明」は半分ほど。残りは、解説である。この解説が、実に親切丁寧である。

読んで、なるほどソクラテスの語ったことはこういうことであったのかと思ったり、あるいは、プラトンはこのようにソクラテスのことを描いているのかと感じたりである。とはいえ、もう余生の読書である。ただ、たのしみとして読んでいる。

そういえば、学生のとき、教養の科目でギリシャ哲学の講義を履修したのを思い出す。(これも、今となってはさっぱり覚えていないが、しかし、これは履修しておいてよかった思う科目の一つでもある。)

ふと思うことなのだが……あるいは、学生には時々語っていることなのだが……ソクラテス自身は、自分自身で何も書き残してはいない。また、釈尊(ブッダ)も何も書いていない。孔子もまた同様である。キリストも自身で書いたものが残っているということはない。

過去の偉大な人は、自らは何も書き残していないのである。しかし、その弟子たちの手によって、啓典が編纂され今に残っていることになる。

偉大な思想・宗教と、「書く」ということは、どのように考えればよいのであろうか。

ともあれ、これで、『文学こそ最高の教養である』の本を一通り読んだことになる。『失われた時を求めて』は、別にすでに読んだ。「方丈記」は、これは、現代語訳ではなく、新日本古典文学大系で読むことにしようかと思っている。(本は、買って持っている。)

『文学こそ最高の教養である』の本を読んでみようと思い立って読むことにしなければ、手にすることがなく終わってしまったかもしれない本が多い。このような方針の読書というものがあってもいいだろう。これを契機に、関連する著作、作品など読んでみようかと思うものが、いくつもある。

とりあえず、今のところ、この秋に読む本としては、新潮文庫版の太宰治を読むことにした。いまから「全集」を見ようとは思わない。文庫本で手にはいる範囲で、読んでおきたい。三島由紀夫とか、川端康成とか、主な作品は若いときに読んだりしているのだが、まとめて集中的に読むということはしてきていない。これらの作家の作品を順次読んでいこうかと思っている。

2020年11月8日記

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