『右大臣実朝』太宰治/新潮文庫2020-11-14

2020-11-14 當山日出夫(とうやまひでお)


太宰治.『惜別』(新潮文庫).新潮社.1973(2004.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100610/

続きである。
やまもも書斎記 2020年11月13日
『きりぎりす』太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/13/9316039

新潮文庫の『惜別』の巻には、「右大臣実朝」「惜別」の二作品を収録してある。まずは、「右大臣実朝」から。

この作品は、たしか読みそびれていた太宰の作品の中の一つになる。だが、そのなかの有名な文言は知っていた。

アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。(p.21)

いったい何を読んで覚えたのか、いまとなってはさっぱり忘れてしまっている。しかし、この有名な箇所だけは、妙に鮮明に記憶している。

新潮文庫の解説は奥野健男が書いているが、それによると、この作品は、太宰の中期の作品のなかでも、戦争中のまっただなかで書かれた作品である。暗い世相のなかにあって、文学に活路を見出そうとするとき、書き下ろし長編小説という形式が、残された道であったことが、解説には書いてある。

太宰は、戦争中、何を思ってこのような作品を書いたのであろうか。近現代の文学研究の動向にうとい私としては、よく知らない分野のことになる。が、ともあれ、今日の観点からこの作品を読んで、やはり戦争の時代というものを感じるところがある。このような形式の文学でなければ、表現できない何かがあったことは確かである。

この作品も、また語りでなりたっている。実朝の近臣の目を通じて、その語りでしか描くことのできない実朝の姿というべきか。あるいは、太宰は、そのたくみな語りの手法で、この小説も書いたというべきか。

ところで、実朝という人は、鎌倉の悲劇の将軍として知られるのみではない。歌人としても名前が残っている。私のむかし習った文学史の知識では、新古今風の歌の流行する時代にあって、万葉風の歌を詠んだ歌人ということになる。

これも、また、今日の知見からするならば、近代における『万葉集』の位置づけと無縁のことではないと理解できるだろうか。

2020年11月8日記

追記 2020-11-16
この続きは、
やまもも書斎記 2020年11月16日
『惜別』太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/16/9317040

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