『麒麟がくる』あれこれ「義昭、まよいの中で」2020-12-08

2020-12-08 當山日出夫(とうやまひでお)

『麒麟がくる』第三十五回「義昭、まよいの中で」
https://www.nhk.or.jp/kirin/story/35.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年12月1日
『麒麟がくる』あれこれ「焼討ちの代償」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/12/01/9322200

幕府と朝廷、そして光秀と信長、これらの人物たちの群像劇という印象がある。

この回の見どころは、次の二点だろうか。

第一には、義昭のこころのうごき。

昔は奈良にいて僧侶であった義昭が、室町の将軍ということになる。そこには、信長などの武将の援助があってのことである。また一方で、室町幕府には、摂津晴門のようなものもすくっている。このなかにあって、武士の棟梁たる将軍はいかにあるべきか、自分が将軍として何ができるのか、なやみまようことになる。その心中を、このドラマでは丁寧に描いている。(ただ、歴史の結果として、この義昭がこれからどうなるかは、今日のわれわれとしては知っていることにはなるのだが。)

第二には、正親町天皇。

戦国時代を舞台として、ここまで天皇というものの存在を描いたドラマは珍しいのではないだろうか。無論、歴史学上の議論としては、中世において天皇とはいかなる存在であったかということはある。しかし、そのような議論があることは承知しているとはしても、ドラマとして、正親町天皇の存在感は大きなものがる。あるいは、これからの歴史の展開(本能寺の変にいたる)のカギをにぎっているのが、この正親町天皇なのかもしれない。

以上の二点が、この回を見て思ったことなどである。

このドラマは、大きな歴史の動き……室町幕府の滅亡……ということのなかにおける、それぞれの登場人物のこころのうごきを細やかに描いていると感じさせるところがある。

ただ、室町時代において『万葉集』がどのように読まれていたか、ということについては、いささかどうかなと思うところがないではなかった。

次回、室町幕府をめぐって、信長との対立ということになるようだ。正親町天皇と会うことのできた光秀がどう動くことになるのか、楽しみに見ることにしよう。

2020年12月7日記

追記 2020-12-15
この続きは、
やまもも書斎記 2020年12月15日
『麒麟がくる』あれこれ「訣別」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/12/15/9326999