『無名仮名人名簿』向田邦子2021-01-04

2021-01-04 當山日出夫(とうやまひでお)

無名仮名人名簿

向田邦子.『無名仮名人名簿』(文春文庫).文藝春秋.2015(文藝春秋.1980 文春文庫.1983)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167277031

続きである。
やまもも書斎記 2021年1月3日
『父の詫び状』向田邦子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/01/03/9333732

向田邦子をまとめてよみかえしている。主な作品……エッセイ……は、若いときにだいたい買って読んできたつもりでいる。何十年ぶりかの再読ということになる。

この『無名仮名人名簿』は、読んだ記憶がある。特に印象にのこっているのは「カバーガール」。タイトルがいい。(といっても、今ではもう「カバーガール」ということばが過去のものになってしまっている。)

向田邦子のエッセイを読んで感じることは、やはり次の二点になるだろう。

第一には、時代が刻印された文章であること。昭和戦前のことから、高度経済成長期のころにいたるまでの、日本の地方都市、それから、東京の町が、細やかな視点で描かれる。どの文章を読んでも、その文章の描いた時代、書かれた時代というものを感じさせる。その多くは、大げさに時代を論じるというものではなく、あくまでも市井の人びとの視線である。

第二には、その普遍性だろう。確かに、向田邦子は、時代とともにあった。だが、そのエッセイに描かれる情感は、ある種の普遍性をもっている。言い換えるならば、文学たりえているということである。ただ、時代のなかで書いた文章ではない。人間を見る目の確かさというべきものがそこにはある。

この二つのことを、向田邦子の作品を読んで思うことである。

さらに書いてみるならば、向田邦子が活躍していた時代というのは、まさに女性が社会に出て活動しようという時代の前夜というべきころになる。その時代にあって、自分でかせいで自立した生き方をしている女性として、向田邦子の作品はある。あるいは、今にいたるまで人びとをひきつける要因のひとつとして、自立した女性の生き方を感じるということがあってであろう。

無論、その一方で、今では失われてしまった昭和の過去へのノスタルジーに満ちた文章という側面もあるのだが。

二〇二〇年もいろいろとあったが、冬休みの本ということで、向田邦子の作品をまとめて読んでみるつもりでいる。読むと、昔読んだときのことを思いだしてしまう。

2020年12月27日記

追記 2021-01-07
この続きは、
やまもも書斎記 2021年1月7日
『霊長類ヒト科動物図鑑』向田邦子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/01/07/9335113

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