『おちょやん』あれこれ「女優になります」2021-01-10

2021-01-10 當山日出夫(とうやまひでお)

『おちょやん』第5週「女優になります」
https://www.nhk.or.jp/ochoyan/story/05/

前回は、
やまもも書斎記 2020年12月27日
『おちょやん』あれこれ「どこにも行きとうない」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/12/27/9330862

この週から、舞台は京都に移った。

京都にひとりでやって来た千代は仕事を探すことになる。みつかったのは、カフェーの女給である。この当時のカフェーの女給といえば、ほとんど娼婦に近いといっていいのだろうと思う。だが、ドラマでは、そのあたりは柔らかく描いてあった。

女優になりたいという希望をもっていた千代は、東京から来た詐欺師にだまされかける。だが、この事件をきっかけにして、千代の女優志望は固まったといってよい。

そして、印象的なのが千鳥。あまり売れない、女性ばかりの劇団の座長である。京都で興行しているとはいうものの、それまでは地方を巡業していたらしい。このような旅芸人も、カフェーの女給も、ある意味では社会の底辺で生きる生活である。(このような見方で見るとであるが、千鳥が立派な一軒家に住んでいるのは、どうかと思うところもないではない。)

その千鳥も、芸人としての哀愁を感じさせる。このドラマは、演劇、芸能にたずさわる人びとを描くことになるはずだが、そのような人びとは、この時代……昭和戦前……においては、華もあったろうが、一面では、普通の人びとから疎外される存在であったはずである。たとえば、川端康成の『伊豆の踊子』など。

このドラマでは、演劇、芸能の人びとの、疎外者としての側面はあまり描かないですすめるのだろうと思う。だが、そのなかにあって、芸に生きることになる人間の悲哀を、そこはかとなくただよわせる描写がある。以前に出ていた、道頓堀での延四郎といい、京都での千鳥といい、さらに清子などもふくめて、芸に生きる人間の覚悟と悲哀を感じさせる脚本であり、また、役者もそれにこたえていると思う。

次週、千代は舞台にたつことになるようだ。千代の女優としてのスタートになるのだろう。楽しみに見ることにしよう。

2021年1月9日記

追記 2021-01-17
この続きは、
やまもも書斎記 2021年1月17日
『おちょやん』あれこれ「楽しい冒険つづけよう!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/01/17/9338341