『名短篇、さらにあり』北村薫・宮部みゆき(編)2021-02-08

2021-02-08 當山日出夫(とうやまひでお)

名短篇、さらにあり

北村薫・宮部みゆき(編).『名短篇、さらにあり』(ちくま文庫).筑摩書房.2008
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480424051/

続きである。
やまもも書斎記 2021年2月6日
『名短篇、ここにあり』北村薫・宮部みゆき(編)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/02/06/9344506

先に書いた『名短篇、ここにあり』の姉妹編ということになるのだろう。

収録されているのは、次の作家。

舟橋聖一
永井龍男
林芙美子
久生十蘭
十和田操
川口松太郎
吉屋信子
内田百閒
岡本かの子
岩野泡鳴
島崎藤村

『ここにあり』とくらべると、一時代前の作家をあつめたといっていいだろう。このうち、内田百閒は今でもよく読まれるようだが、他の作家の作品は、このごろではあまり目にすることがないように思われる。

舟橋聖一とか、吉屋信子など、その時代にあっては、まさに文壇の華というべき存在だっただろうと思うが、最近では、もう読まれない作家になってしまっているようだ。私も名前は知ってはいるが、その作品に慣れ親しんだということはない。

これを読んでも、まさに「名短篇」という名前がふさわしい。どの作品もたくみである。このような作品が、忘れ去られてしまうのは惜しい。この意味でも、このアンソロジーは、実に貴重な仕事であると思わざるをえない。

近年の作家を読むのもいいが、このような形で、過去の名作を読むのも、また読書の楽しみの一つといっていいだろう。

ただ、思うことを書いてみるならば……日本における、大衆文学、庶民文学の歴史ということを思ってみる。現代のような大衆文学とでもいうべきものが、どのように成立してきたのか。いわゆる純文学ではない、エンタテイメントとしての文学作品の歴史である。

近代の文学史にうとい私にはわからないところが多いが、近代になってから、小説というものが、人びとに読まれるようになってから、ひろまったものであることはたしかである。系譜としては、直木賞の系譜の作品群ということになる。

これが、古くは、落語や講談の速記本であったかもしれない。さらにさかのぼれば、近世の読本、人情本などに、いたるのだろうと思う。このあたり、きちんと勉強してみたい気もするのだが、もうここは、老後の読書である、このようなアンソロジーの類を読んで、いろいろと想像するにまかせることにする。

続けて「名短篇」のシリーズを読むことにしたい。

2021年2月6日記

追記 2021-02-11
この続きは、
やまもも書斎記 2021年2月11日
『とっておき名短篇』北村薫・宮部みゆき(編)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/02/11/9346016

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