『クララとお日さま』カズオ・イシグロ/土屋政雄(訳)2021-03-26

2021-03-26 當山日出夫(とうやまひでお)

クララとお日さま

カズオ・イシグロ.土屋政雄(訳).『クララとお日さま』.早川書房.2021
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000014785/

話題の本といっていいだろう。出てさっそく買って読んだ。

読んで思うことはいろいろある。二つばかり書いてみる。

第一には、AIというものを、文学、特に小説のなかに大胆にとりいれた作品として、非常に興味深いということ。

たぶん、文学におけるAIということであるのならば、SF作品に多くの先行事例があるにちがいないのだが、あいにくと、私は、SFは読まないことにしている。それから漫画も読まない。これらにまで手をひろげると、読む本の際限がさらになくなって収集がつかなくなるので、割りきって読まないことにしている。

SFではない、(普通の)小説においてAIと人間ということについて、真正面からとりくんだ作品として、きわめて意欲的であるといえよう。

AIが、「意志」をもち、「感情」をもったとき、それは人間にとって何であるのか。いや、AI自身にとって、逆に人間とは何であり、自己とは何であるのか、根本から問いかける作品になっている。

といって、深遠な哲学的論議が交わされるという作品ではない。AIと人間との、日常的な交流の世界が、むしろ淡々と描かれるといっていいだろう。だが、そのなかで、人間が人間たる所以はいかなるところにあるのか、という問いかけが根底にあることは、理解される。

第二には、AIの物語ということを横においておいて、普通に物語として読んで面白いものになっているということである。これは、やはり、カズオ・イシグロならではの、作品作りのたくみさを感じさせるという展開になっている。

前述のように、この小説はあっとおどろくような波瀾万丈の大活劇という作品ではない。じっくりと読ませる作品になっている。そこで、じんわりとカズオ・イシグロの物語世界に入って読んでいく楽しみがある。

以上の二点が、この作品を読んで思うことなどである。

たぶん、AIと文学ということは、これからの文学の世界において、大きなテーマになっていくにちがいない。AIについて考えることは、人間の人間としてあることの意味を、根本的に考えることにつながる。その入り口のところまで、現代のAI技術はきている。このことに無関心であるということは……あるいは、あえてそのことについては発言はしないという選択肢はあるにしても……「文学」(広い意味での人文学をふくめて)において、喫緊の重要な課題の一つであると認識している。

2021年3月24日記

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