『おちょやん』あれこれ「竹井千代と申します」2021-05-02

2021-05-02 當山日出夫(とうやまひでお)

『おちょやん』第21週「竹井千代と申します」
https://www.nhk.or.jp/ochoyan/story/21/

前回は、
やまもも書斎記 2021年4月25日
『おちょやん』あれこれ「何でうちやあれへんの?」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/25/9370602

道頓堀を出た千代は京都にいた。そして、この週で、千代は役者として復活することになる。

見ていて思ったことはいろいろあるが、二つばかり書いてみる。

第一に、栗子のこと。

栗子が再登場してきた。一平のもとを去った千代を、あたたかく迎え入れてくれることになった。そこには、姪(栗子の娘の子ども)の春子も一緒だった。

この栗子は、このドラマの最初の方に登場してきていた、いやな継母役として記憶に残っているのだが、それから、千代の役者としての活躍を見続けてきたようだ。

栗子は字が読めない。幼いときに学校に通うことがなかったのであろう。このことを知った千代は深く反省するところがあった。栗子もまた、幼いときから苦労の多い人生を歩んできた人間なのであることを、改めて認識することになった。

これまで花籠を、折に触れて千代のもとにとどけてくれていたのは、実は栗子であった。役者になった千代のことを知って、それからずっと見守り続けてきたということになる。これまで、花籠の送り主はいったい誰だろうかと、いろいろと考えたものであるが、ここにきてようやく決着を見たことになる。そして、それは意外な人物ではあったが、しかし、このドラマの最初の方からの展開を考えると、なるほどと思える結果でもある。

ただ、思ったこととしては……栗子は字が読めない、これだけでよかったのかもしれない。これだけで、十分に栗子の人生を暗示することはできる。それについての、千代の心のなかの声は、ちょっと説明的すぎて余計な気がした。

第二には、千代のこと。

もう役者の仕事をするまいと決心した千代であったが、当郎などに接することによって、気持ちがほぐれて、かたくなさがなくなっていく。役者のときのことを思い出す。必ずしもつらい思いでばかりではなかった。自分はこれまで役者として生きてきた。これからも、役者として生きていくことになる、そう決意することになる。

その千代の気持ちを押したのは、栗子であり、春子である。自分を見守っていてくれた栗子、それから、まだ幼いながらも、自分の庇護のもとで素直に成長していく春子、これらの存在が、芝居に対してかたくなであった千代のこころを、やわらげることにつながる。

栗子と春子のもとで暮らし、また、当郎などと話しをすることで、徐々に変化していく千代の気持ちが、じんわりと表現されていたように思う。

京都で暮らすようになった千代が持っていたものは、母親と父親の写真、それから、「人形の家」の台本だった。これを手放していない、大阪の一平の家から出るときにも持って出たということは、芝居の世界にまだ気持ちを残しているということなのであろう。

以上の二点が、この週を見て思ったことなどである。

さらに興味深いのは、やはり、天海祐希。ポスターの写真だけの登場であったが、このような演出も面白い。

次週、ラジオドラマでの千代の活躍となるようだ。このドラマものこりわずかである。楽しみに見ることにしよう。

2021年5月1日記

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