『高校に古典は本当に必要なのか』 ― 2021-06-14
2021-06-14 當山日出夫(とうやまひでお)
長谷川凜・丹野健・内田花・田川美桜・中村海人・神山結衣・小林未來・牧野かれん・仲島ひとみ(編).『高校に古典は本当に必要なのか』.文学通信.2021
https://bungaku-report.com/blog/2021/06/post-968.html
「古典は本当に必要なのか」という議論については、これまでに書いてきた。この本を読んでも、私の考えるところに大きな変化はない。
やまもも書斎記 2019年1月18日
「古典は本当に必要なのか」私見
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/18/9026278
やまもも書斎記 2019年1月26日
「古典は本当に必要なのか」私見(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/26/9029000
やまもも書斎記 2019年2月16日
「古典は本当に必要なのか」私見(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/02/16/9036658
やまもも書斎記 2019年10月11日
『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/11/9163517
それから、
やまもも書斎記 2020年7月12日
『「勤労青年」の教養文化史』福田良明
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/12/9267249
そして、この『高校に……』を読んで感じるところは、最初に出た『古典は……』の本や、もとになったシンポジウムよりもよくできているということである。
私は、次のことを書いた。これも繰り返しになるが、再々度書いておく。
======
最後に付け加えて書いておきたいことがある。「古典は本当に必要なのか」をめぐっては、様々にWEB上で議論がある。それらを見て思うことがある。次のことは語ってはいけないことだと、自分自身への自省として思っていることである。
それは、
・高校の時のルサンチマンを語らない
・自分の今の専門への愛を語らない
この二つのことがらである。
このことをふまえたうえで、何故、古典は必要なのか、あるいは、必要でないのか。また、他の教科・教材についてはどうなのか、議論されるべきだと思うのである。
======
この自制がよくきいている。あるいは、これは、「ディベート」としての本であるから、おのずとそうなっているというところでもある。
高校生だから、教科の好き嫌いはあるだろう。もっと端的にいえば、その教科を教えている教師に対する好き嫌いということもあるにちがいない。だが、この本のなかでの議論には、これに触れることがまったくない。この点は高く評価してよいと、私は考える。(逆にいえば、先に出た『古典は……』の本は、この問題点に満ちている。)
「古典は本当に必要なのか」は、大学での研究のみならず、高校での教育、さらには、一般社会での出版など、幅広い視点からの議論が必要である。特に、大学入試の科目に必要なのか、学校教育で教える必要があるのか、この論点は重要であり、そして、その当事者である高校生の意見には、耳を傾けるべきだろう。
高校生にカリキュラムを決める権限はない。しかし、今ある学校のカリキュラムについて、意見をのべる権利はある。
そして、この本は、それを意図したものではないかもしれないが、「ディベート」の参考書として、非常によくできている。このようなテーマについて、企画立案し実行にうつすことのできた高校生たちはすばらしいと思う。
(高校生には無理な注文かもしれないのだが)ただ、一読して難点かなと思ったところは、「ナショナリズム」を即「悪」として議論しているあたりは、議論の底が浅い。「ナショナリズム」については、いろいろと考えるべき多様な論点があるはずである。
また、「古典」はアプリオリに存在するものではなく、近代になってから「国文学」という学問の成立、あるいは、近代以降の学校の「国語教育」のなかで創出されてきたものであるという側面も、十分に考える必要がある。「日本人」の「アイデンティティー」などについては、そう軽々に語れるものではない。
さらには、「教養」というものが、社会的、歴史的に変化するものである、という視点をもっととりこんで議論した方がよい。この問題の大きな流れとしては、「古典」が「教養」であった時代が終わろうとしていることなのである。
ともあれ、「古典は本当に必要なのか」ということを考えるうえでは、必須の本であるといってよいだろう。
2021年6月13日記
https://bungaku-report.com/blog/2021/06/post-968.html
「古典は本当に必要なのか」という議論については、これまでに書いてきた。この本を読んでも、私の考えるところに大きな変化はない。
やまもも書斎記 2019年1月18日
「古典は本当に必要なのか」私見
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/18/9026278
やまもも書斎記 2019年1月26日
「古典は本当に必要なのか」私見(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/26/9029000
やまもも書斎記 2019年2月16日
「古典は本当に必要なのか」私見(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/02/16/9036658
やまもも書斎記 2019年10月11日
『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/11/9163517
それから、
やまもも書斎記 2020年7月12日
『「勤労青年」の教養文化史』福田良明
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/12/9267249
そして、この『高校に……』を読んで感じるところは、最初に出た『古典は……』の本や、もとになったシンポジウムよりもよくできているということである。
私は、次のことを書いた。これも繰り返しになるが、再々度書いておく。
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最後に付け加えて書いておきたいことがある。「古典は本当に必要なのか」をめぐっては、様々にWEB上で議論がある。それらを見て思うことがある。次のことは語ってはいけないことだと、自分自身への自省として思っていることである。
それは、
・高校の時のルサンチマンを語らない
・自分の今の専門への愛を語らない
この二つのことがらである。
このことをふまえたうえで、何故、古典は必要なのか、あるいは、必要でないのか。また、他の教科・教材についてはどうなのか、議論されるべきだと思うのである。
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この自制がよくきいている。あるいは、これは、「ディベート」としての本であるから、おのずとそうなっているというところでもある。
高校生だから、教科の好き嫌いはあるだろう。もっと端的にいえば、その教科を教えている教師に対する好き嫌いということもあるにちがいない。だが、この本のなかでの議論には、これに触れることがまったくない。この点は高く評価してよいと、私は考える。(逆にいえば、先に出た『古典は……』の本は、この問題点に満ちている。)
「古典は本当に必要なのか」は、大学での研究のみならず、高校での教育、さらには、一般社会での出版など、幅広い視点からの議論が必要である。特に、大学入試の科目に必要なのか、学校教育で教える必要があるのか、この論点は重要であり、そして、その当事者である高校生の意見には、耳を傾けるべきだろう。
高校生にカリキュラムを決める権限はない。しかし、今ある学校のカリキュラムについて、意見をのべる権利はある。
そして、この本は、それを意図したものではないかもしれないが、「ディベート」の参考書として、非常によくできている。このようなテーマについて、企画立案し実行にうつすことのできた高校生たちはすばらしいと思う。
(高校生には無理な注文かもしれないのだが)ただ、一読して難点かなと思ったところは、「ナショナリズム」を即「悪」として議論しているあたりは、議論の底が浅い。「ナショナリズム」については、いろいろと考えるべき多様な論点があるはずである。
また、「古典」はアプリオリに存在するものではなく、近代になってから「国文学」という学問の成立、あるいは、近代以降の学校の「国語教育」のなかで創出されてきたものであるという側面も、十分に考える必要がある。「日本人」の「アイデンティティー」などについては、そう軽々に語れるものではない。
さらには、「教養」というものが、社会的、歴史的に変化するものである、という視点をもっととりこんで議論した方がよい。この問題の大きな流れとしては、「古典」が「教養」であった時代が終わろうとしていることなのである。
ともあれ、「古典は本当に必要なのか」ということを考えるうえでは、必須の本であるといってよいだろう。
2021年6月13日記
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