新・映像の世紀(2)「グレートファミリー」2021-06-25

2021-06-25 當山日出夫(とうやまひでお)

新・映像の世紀(2) グレートファミリー 新たな支配者 超大国の出現

続きである。
やまもも書斎記 2021年6月18日
新・映像の世紀(1)「百年の悲劇はここから始まった」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/06/18/9389048

この回で描いていたのは、第一次大戦後の世界の様子。それを、新興国アメリカの繁栄として、「グレートファミリー」というとらえかたをしていた。

登場していたのは、モルガン、ロックフェラー、フォードなどの、大企業のあるじたち。その富は、まさにアメリカの繁栄の象徴というべきものである。

だが、その一方で、このアメリカの繁栄が終わったとき……世界大恐慌である……世界は、新たな道を模索することになる。第二次大戦への道ということになる。(これも、今から振り返って歴史を考えてみるならば、ということだが。)

この新・映像の世紀は、以前の放送の映像の世紀よりも、見ていて面白い。ただ、昔の映像資料を発掘してきて見せるというだけにとどまらず、歴史への批判的まなざしがある。番組は、二〇一五年の放送。この時点で、なぜ今ある世界はこのようであるのか、そのよってきたる淵源はどこにあるのか、問いかける姿勢がある。

二〇一五年というと……二〇〇一年のアメリカでの同時多発テロ、その後の中東での紛争、また、経済のうえでは、バブルの崩壊、リーマンショックということがあった。無論、日本においては、二〇一一年の震災と原発事故がある。

経済的反映が崩壊した後に世界はどうなるのか、そこを考えることは、やはり歴史をさかのぼることによってしか答えはないのだろうと思う。

二一世紀になって、より世界が混沌としてきた状況であったといえるだろう。現在、その混沌はより混迷を深めている。台頭する中国への警戒感、そして、COVID-19のこと。明日の世界の情勢など、もはや誰にも分からないかもしれない。

このようなときこそ、歴史を振り返る必要がある。今ある世界は、なぜこのような世界なのか、それは、歴史を考えることによってしかとららえることのできないものだろう。

個人的な思いとしては、このような時代だからこそ、歴史と古典を読みたいと思っている。

2021年6月24日記

追記 2021年7月2日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年7月2日
新・映像の世紀(3)「時代は独裁者を求めた」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/07/02/9393663

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