新・映像の世紀(3)「時代は独裁者を求めた」2021-07-02

2021-07-02 當山日出夫(とうやまひでお)

新・映像の世紀(3) 時代は独裁者を求めた~第二次世界大戦~

前回は、
やまもも書斎記 2021年6月25日
新・映像の世紀(2)「グレートファミリー」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/06/25/9391317

この回は、第二次世界大戦。そこで中心的に描いていたのは、ヒトラーのことだった。

このことはかなりいわれていることなのだが、ヒトラーの政権は合法的に獲得された。そして、そのヒトラーのドイツ、あるいは、ヨーロッパ制覇にに対して、どの国もが否定的だったのではない。アメリカなど、ドイツと、通商関係を通じて、深い利害関係にあった。簡単に、反ナチスということにはならない。

この意味では、日米の戦争が、どれほど具体的な利害関係にもとづくものであったのか、検証の必要があるだろう。アメリカは日本に否定的であった。だが、日本に対して、どのような権益の対立があったのか、これは、また別に問題として考えることになるだろう。

また、第二次世界大戦の終わりを、九月二日といっていたのが印象に残る。八月一五日としていなかった。九月二日は、日本が戦艦ミズーリにおいて降伏文書に調印した日である。

どうでもいいことかもしれないが、番組の最後、資料提供のなかに、靖国神社の名前があった。いったいどんな映像資料をつかったのだろうか。

それにしても、新・映像の世紀は、歴史に対して批判的である。この回の最後の台詞は、やはりこころに残る。ユダヤ人強制収容所で何が行われていたのか。戦後、ドイツ国民は見せられることになる。「知らなかった」。それに対してこたえる。「いや、あなたたちは知っていた」と。

これは、現代の世界の情勢についてもいえることだろう。独裁的な政権は、世界中に多くある。そして、そこで、何が行われているのか、その一部は、報道でも知ることができる。だが、表面上、国際協調、善隣友好の名のもとに、不干渉の立場をとることになる。

だが、歴史はかならず変わる。どのような方向に変わるかは分からないが、かならず変わる。第一次世界大戦、第二次世界大戦、冷戦、ベルリンの壁の崩壊……大きな歴史の変革を、人類は経験してきている。

これから、世界がどうなるかわからないが、ただ、それを「知らなかった」で済むことは、もはやない。グローバリズムとWEBが世界を覆っている時代である。何があっても、どこかで誰かが記録し、発信し、知ろうと思えば、いくらでも知りうる時代になってきている。

「知らなかった」とはいえない時代に生きていることを、つよく思う。

2021年7月1日記

追記 2021年7月9日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年7月9日
新・映像の世紀(4)「世界は秘密と嘘に覆われた~冷戦~」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/07/09/9396202