『『失われた時を求めて』への招待』吉川一義2021-07-05

2021-07-05 當山日出夫(とうやまひでお)

『失われた時を求めて』への招待

吉川一義.『『失われた時を求めて』への招待』(岩波新書).岩波書店.2021
https://www.iwanami.co.jp/book/b583370.html

『失われた時を求めて』の訳本については、過去に読んでいる。吉川一義訳、鈴木道彦訳、それから、高遠弘美訳である。

やまもも書斎記 2018年11月1日
『失われた時を求めて』岩波文庫(1)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/01/8986844

やまもも書斎記 2020年8月15日
『失われた時を求めて』(1)第一篇「スワン家のほうへⅠ」プルースト/高遠弘美訳
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/15/9278710

筆者(吉川一義)は、岩波文庫版で、『失われた時を求めて』を訳した人ということになる。今では、すでに全巻完結している。三年前、私が読んだときには、途中までしか刊行されていなくて、残りの二冊を、集英社文庫版の鈴木道彦訳で読んだのだった。

全部を訳しおえて、ふりかえって、『失われた時を求めて』の読書案内、プルースト案内として書かれたものという位置づけになる。さっそく買って読んでみた。作品論、作家論として、よく書けている本だと思う。

第一章 プルーストの生涯と作品
第二章 作中の「私」とプルースト
第三章 精神を描くプルースト
第四章 スワンと「私」の恋愛心理
第五章 無数の自我、記憶、時間
第六章 「私」が遍歴する社交界
第七章 「私」とドレフェス事件および第一次大戦
第八章 「私」とユダヤ・同性愛
第九章 サドマゾヒズムから文学創造へ
第一〇章 「私」の文学創造への道

プルーストについての概略をふまえたうえで、その時代背景、社会的背景、風俗的背景、さらには、「私」をめぐる考察に及んでいる。

私が読んで面白かったのは、この作品中に出てくる「私」をめぐるいくつかの論考。『失われた時を求めて』は、単純な小説ではない。作者(プルースト)がいて、小説を書いている。その小説のなかに「私」が登場してくる。この「私」は、いったい何者なのか。何をしているのか。何をしようとしているのか。ある意味では、曖昧模糊としている。ここのところにするどく分析をこころみているあたりが、読みどころかと思って読んだ。

無論、『失われた時を求めて』に出てくる、同性愛や、ユダヤ人の問題、芸術論の問題など、題材とされているいくつかのことがらについての解説は、どれも興味深い。

私が、読んだ印象として思っていることは、『失われた時を求めて』は、単なる心理小説ではない。心理を描写する「私」の視点を、さらにメタな立場から見ている「作者」の目がある。このあたりが、この作品の難解さでもあり、面白さということになるのかとも思う。

また、一九世紀から、二〇世紀初頭にかけての、フランスの風俗的な事情ということも、この作品を、分かりにくくしている要因かもしれない。「ココット」……吉川一義訳では「粋筋の女」であり、高遠弘美の訳では「高級娼婦」であるのだが……これが、いまひとつよくわからない。

同性愛の問題とか、サドマゾヒズムの問題、ユダヤ人のことなど、まさに、現代の社会のかかえる問題につながるところもある。

さて、もう一度『失われた時を求めて』を読みかえしてみようかという気にはなる。岩波文庫版では、すでに吉川一義訳で全巻揃う。(買って持っている)。高遠弘美訳の既刊分は読んだが、これが完結するまで待っていることもできないと感じる。

ちょっと身の周りの本の整理をして、再度、こんどはよりじっくりと、『失われた時を求めて』を読んでみたいと思っている。

2021年7月2日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/07/05/9394776/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。