『青天を衝け』あれこれ「篤太夫、パリへ」2021-07-13

2021-07-13 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第22回「篤太夫、パリへ」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/22/

前回は、
やまもも書斎記 2021年7月6日
『青天を衝け』あれこれ「篤太夫、遠き道へ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/07/06/9395089

おそらく、この『青天を衝け』で最大の見せ場であるパリ万博である。

見ていて思うことは、次の二点ぐらいあるだろうか。

第一に、パリのこと。

COVID-19の影響で、フランスでのロケができないということになっている。もし、何事もなければ、おそらくはフランスロケという手はずであったろうと思う。

だが、そのかわり、テレビの特撮技術ならではの、圧巻のパリであった。凱旋門から見たパリの街。万博会場。そして、ナポレオン三世との謁見。これら、コンピュータによる画像処理の技術を駆使しての場面であったかと思われる。

ひょっとすると、実際にフランスでロケをするよりも、この方が、現実味があったかもしれない。たぶん、『青天を衝け』のフランスでのシーンは、大河ドラマ史上に残る名場面として、語り継がれることになるにちがいない。

第二に、琉球のこと。

パリ万博に幕府は、「日本」を代表するものとして参加した。だが、その一方で、薩摩と琉球が展示を行っていた。これに、幕府はクレームをつける。

だが、明治政府になって、正式に沖縄県が設置されるまで、琉球は、れっきとした独立国であったはずである。(実質的には、清朝と薩摩藩の両方に帰属するということではあったかもしれないが。)

また、日本を開国させたペリーは、日本に来る前に、琉球にもたちよっているはずである。その当時の欧米列強からするならば、日本と琉球は別の国である。また、日本を代表するのは、将軍なのか、天皇なのか、このあたりも、まさに幕末の動乱のなかで議論の紛糾したところである。立場によって、天皇が君主であり、そのもとに、各藩が存在する連邦国家であっても、おかしくはない。

以上の二点が、この回を見て印象に残っているところである。

今までのところ、江戸幕府は、諸藩を相手にして、また、イギリスとフランスを相手にして、どうにかうまく立ち回っているというところであろうか。したたかである。慶喜は外国語に堪能だったようだ。が、それも、この回までかもしれない。次回は、いよいよ大政奉還ということになるらしい。

ところで、ちょっと気になったことは、ナポレオン三世への慶喜の書状。「源慶喜」と署名してあったが、この当時の、武家の正式の署名として、これでいいのだろうか。このあたり、しかるべく時代考証をふまえてのことだろうとは思うが、すこし気になったところでもある。

次週、まだ、栄一のフランス滞在はつづくようだ。また、日本では、明治維新ということになる。オリンピックが、開催になるとしても、少なくとも次週は、放送があるはずである。楽しみに見ることにしよう。

2021年7月12日記

追記 2021年7月20日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年7月20日
『青天を衝け』あれこれ「篤太夫と最後の将軍」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/07/20/9399807

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