『星落ちて、なお』澤田瞳子2021-07-31

2021-07-31 當山日出夫(とうやまひでお)

星落ちて、なお

澤田瞳子.『星落ちて、なお』.文藝春秋.2021
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163913650

第一六五回の直木賞作品ということで読んでみることにした。なるほど、この作品が直木賞に選ばれるのは理解できる。

河鍋暁斎……若いころ、どこだったか美術館で、その展覧会を見たという記憶はあるのだが、はっきりしない。近年になって評価の高くなっている画家であるという印象は持っていたのだが、そう詳しく知ろうと思ったことはなく、すぎてしまっていた。

小説は、明治二二年、河鍋暁斎が亡くなったときからスタートする。主人公は、その娘のとよである。

読んで思うこととしては、次の二点ぐらいを書いてみる。

第一に、家族の物語であること。

河鍋暁斎の娘として生まれた、とよ。おおむねそのおいたちからはじまって、晩年にいたるまでを描いている。その周囲に登場するのは、河鍋暁斎の子どもなど。とよにとっては、きょうだいになる。その家族の絆、というよりは、同じ画業にたずさわるものとして、あるいは、河鍋暁斎の血をひくものとしての、愛憎劇といった方がいいだろう、その心情の交錯が描かれる。

第二、画鬼。

河鍋暁斎は、「画鬼」として出てくる。ある種、芸術至上主義であるともいえるし、あるいは、古風な狩野派の流れを頑として墨守しようとした、頑固さもある。その子どもたち……とよをふくむ……は、その死後も、自由にはなりえない。生きていくうえで、何かしら、河鍋暁斎にあやつられているようなところがある。その束縛から自由にはなれられないといってもいいだろうか。

以上の二点を思って見る。

家族の物語であり、画業の物語として、この小説は、明治の半ばから、大正の終わりごろまでの時期を、東京を舞台に、四季折々の風物、時代の出来事をなどをおりまぜながら進行していく。

この小説に、実は河鍋暁斎は登場しないといってもよい。その死後からスタートしている。だが、この小説の全編にわたって、河鍋暁斎の影が映り込んでいると感じる。死後もその影響から自由になることができなかった、子どもや縁者の物語である。

画鬼を父にもつことになった娘のとよの人生を追っているのだが、はたして、その人生は苦悩だけだったのか、喜びがないわけではなかったろう、が、それは、まさに業として背負っている画業のなかにしか見いだせないものでもあった。

ところで、この作品を読みながら、知らないことばがいくつか出てきたので、調べながら読むことになった。澤田瞳子の文章は、芯がしっかりしていると同時に、よどみがない。そして、ことばの選び方が的確である。時代小説という流れのなかにあって、独自の作風を確立しているといっていいのではないかと思う。

2021年7月29日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/07/31/9403274/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。