100分de名著「ボーヴォワール 老い」上野千鶴子2021-08-06

2021-08-06 當山日出夫(とうやまひでお)

老い

上野千鶴子.『100分de名著 ボーヴォワール 老い』.NHK出版.2021
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000062231272021.html

このシリーズ、テレビ番組を見るということはないのであるが、テキストの方は時々買って読んでいる。二〇二一年七月は、ボーヴォワールの『老い』であった。

ボーヴォワールは、いうまでもなく『第二の性』が有名。私の学生のころ、文庫本で読めた。(ただ、手にとったことはあると思うのだが、その読者ということはなく、今にいたってしまっている。フェミニズムについては、その重要性についての認識は持っているつもりだが、自分の研究のなかで特に言及することもなく、過ぎてしまっている。)

もし、社会が成人男性を軸に構成されているとするならば……そこから疎外されているのは、女性であり、子どもあり、そして、老人だろう。『第二の性』の著者が、『老い』ということに向かうことには、それなりの必然を感じる。

次のような構成になっている。

老いは不意打ちである
老いに直面した人びと
老いと性
役に立たなきゃ生きてちゃいかんか!

このような各章のタイトルを見ると、なるほど上野千鶴子の書いた本だなという印象をうける。

ところで、私も、もう老人といっていいだろう。仕事の方は、なかば引退したような形にしている。最低限、教えに出ることはあるが、それも可能な限り少なくしている。もう、本を作ったり、論文で何かを論じたりという気もおこらない。ただ、自分の好きな本を読んで、そして、空いた時間には、外に出て草花の写真をとっている。

年を取るということは、徐々に進行するものである。と同時に、ふとしたことで、閾値を超えて、もう老人だなと実感するところもある。

昨年からのCOVID-19の影響で、大学の授業がオンラインを基本とすることになってしまった。そこで、新しいシステムを使いこなしてのオンライン授業にチャレンジすることもできたかもしれない。が、その気にならないで時間が過ぎてしまった。自分の使える時間を、新しいことのチャレンジにつかうよりは、本を読むことにつかいたいと……強いて、考えるならば、この選択のなかで、本の方を選んだことになる。(これは、たまたま、教えている科目が、日本語の文字や表記の歴史的な側面にかかわることであったので、文章に書いたものを提示して、それにレポートなどを書いてくる、この方式で、十分に対応できるものであったということもあるのだが。)

基本的に、規則正しく同じ生活を送っている。毎週、毎日、NHKの大河ドラマを見て、朝ドラを見て、思ったことなど書いてみたりしている。外に出て、花の写真を撮って、週に一回は、それをこのブログに載せるようにしている。その他は、読んだ本のことなどである。

COVID-19の影響のなかで、いつの間にか、老人への閾値を超えてしまったと実感するところがある。もう、無理に、若くあろうとする必要もないと思う。といって、老け込んでしまうこともないのであるが。老人には老人の生き方があるであろう。私の場合であれば、余生の時間をつかって、本を読むことをつづけていきたい。

どれだけ読めるか分からないが、古典、文学……広義に、歴史や哲学までをふくめて……を読むことに時間をつかって生きていきたいと思う。(それにしても、今では『第二の性』が普通に手にはいらなくなっているようだが、できればこれも再度手にしてみたい本の一つである。)

2021年7月27日記