『歴史が後ずさりするとき』ウンベルト・エーコ2021-08-10

2021-08-10 當山日出夫(とうやまひでお)

歴史が後ずさりするとき

ウンベルト・エーコ.リッカルド・アマディ(訳).『歴史が後ずさりするとき-熱い戦争とメディア-』(岩波現代文庫).岩波書店.2021 (岩波書店.2013)
https://www.iwanami.co.jp/book/b577711.html

エーコの本であるが、単行本が出たときに買いそびれていたものである。岩波現代文庫版で出たので、買って読んでみた。

読んで思うことは、次の二点を書いてみたい。

第一には、PCということ。

PC(政治的な正しさ)については、さまざまに議論がある。一律に、こうすればよいと結論を得ることはむずかしい。いや、PCというのは、むしろそのような精神、知性のあり方の問題かもしれない。ただ、こうすればよいという正解を求めるのではなく、どのように生きてゆきたいのか、どのような社会であるべきか、反省と希望をこめた、人間社会のいとなみそのものであるのかとも思う。

この本は、エッセイ集というべき編集になっているのだが、その編集された章のいくつかは、PCについて言及がある。読んで、なるほど、このような知性のあり方が、PCというものなのかと納得するところがある。ただ、こうすればよいという答えがあるのではなく、なぜそうしなければならないのか、そのよってきたるところを、根源的に問いかけるところがある。

第二には、科学と技術ということ。

日本語で「科学技術」ということばで、ひとまとりにしてしまうことが多い。それを、著者は、厳格に区別してる。「科学」と「技術」は別物であると明確にいいきっている。これは、日常的に「科学技術」という概念で日本語のなかで生活しているものにとっては、かなりインパクトのある発言である。

科学と技術を分けて考えることこそ、科学的なものの考え方につながるといってもいいのだろう。

以上の二点のことを思って見る。

総合的な読後感としては、強靱な、そしてしなやかであり、また、緻密な知性のあり方というものを、強く感じる本である。この本はエッセイ集として、時評という側面もある。中近東の紛争、また、EUにおける移民の問題、このような時事的な問題をふまえながらも、時として、視線は第二次世界大戦、ヒトラーやムッソリーニのことにまでおよぶ。大きな歴史のながれを、良心的かつ冷静に見る姿勢には、思わず読んでいて襟を正す、あるいは、読みふけってしまうところがある。

今の日本で、このような知性の持ち主がいるだろうか。(私の読んだことの範囲では、少し古くなるが、林達夫のことなどを思い出すことになる。)文庫本としては、ちょっと分量があるが、しかし、じっくりと読む価値のある本である。

2021年7月21日記