映像の世紀プレミアム(2)「戦争 科学者たちの罪と勇気」2021-08-20

2021-08-20 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム (2) 戦争 科学者たちの罪と勇気

月曜日の放送を録画しておいて、後日に見た。雨が降っている日である。いや、このところ毎日雨である。

これは、二〇一六年の放送の再放送。最初の放送のときに確か見ているかと思うのだが、改めて見て、また、「映像の世紀」「新・映像の世紀」と再放送を見た目で見て、いろいろと思うことがある。

究極的には、社会の価値から中立的な、純粋な科学、あるいは、科学技術というものがあり得るのだろうか、ということになろう。また、この問いを別のことばでいうならば、科学者の社会的責任ということにもなる。

番組であつかっていたのは、古くはノーベルによるダイナマイトの発明。そして、第一次世界大戦、第二次世界大戦、冷戦、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、アフガニスタンでの戦い。

おりしも、アフガニスタンから米軍が撤退するということで、カブールの陥落がつたえらえた直後の放送ということになった。これは、NHKの意図したことではなかったろうが、これもまた、米軍の最新兵器が、カラシニコフに敗れた戦いの一つということになるのかもしれない。

覚めた見方をするならばであるが、この世から戦争がなくならないかぎり、戦争と科学の問題はついてまわる。ただ、軍事に協力しなければそれでよいということではすまない。いやこれからますます、狭義の軍事技術と、それ以外の科学、科学技術とは、不可分のものになっていくだろう。

ここで考えてみるべきは、「科学技術」というが、これを、本来の意味にさかのぼって、「科学」と「技術」に分けて考えることかもしれないとも思う。これは、本来は別のものであるはずである。それが、密接不可分に結びつくことになるのが、特に軍事の部分であるといえるだろうか。

月並みな感想になるが、ここは世の中の人びとの意識、政治のちからと、そして、地道な教育のつみかさね……このあたりにしか、未來への希望を見出すことは難しいように思ったのである。

2021年8月19日記