『怒りの葡萄』(下)ジョン・スタインベック/黒原敏行(訳)2021-08-30

2021-08-30 當山日出夫(とうやまひでお)

怒りの葡萄(下)

ジョン・スタインベック.黒原敏行(訳).『怒りの葡萄 新訳版』(下)(ハヤカワepi文庫).早川書房.2014
https://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/310081.html

続きである。
やまもも書斎記 2021年8月28日
『怒りの葡萄』(上)ジョン・スタインベック/黒原敏行(訳)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/08/28/9416224

上巻に続けて読んだ。最初に読んだのは、数十年も前のこと。高校生ぐらいのときだったかと思うので、もうさっぱりと内容を忘れてしまっている。ただ、西をめざして自動車で旅をする一家のことが、うっすらと記憶にあるぐらいである。

下巻になって、ジョード一家は、カリフォルニアに到着する。そこでのキャンプ。それから、労働。労働といっても、割のいい仕事ではない。労働力があまっている。ジョード一家のような元農民が、大勢集まってきている。賃金は、安くにたたかれる。だが、それでも仕事があればいい方である。大農園での仕事をもとめて、一家はカリフォルニアを移動することになる。そこでの労働は、まさに下層労働力の搾取としかいいようのないものである。

この作品、一九三〇年代のアメリカの農村、カリフォルニアの大規模農園のことなどを、モデルにして描かれているといってよいのだろう。第一次世界大戦の後の繁栄と、それに続く大恐慌。農村の荒廃。そして、社会は、富裕層が富を独占するようになる。安価な労働力をこきつかって、あこぎな仕事を続けることになる。

描かれているのは、確かに近代のアメリカ社会の一面である。だが、ここに描かれている世界は、今の世界にも通じるものがあると感じる。

第一には、貧富の差である。富裕なものは、富を独占し、労働力は安価にこきつかわれる。これは、まさに今の国際社会のなかでおこっていることでもあるといえるだろう。

第二には、その中にあって感じるヒューマニズム。過酷な労働にあっても、また、災害にあっても、ジョード一家は生きていく。そこには、助け合いの精神がある。これも、今の国際社会のなかにあって、共感できることの一つだろう。

以上の二点のことなどを思ってみる。

アメリカの近代の一時代を描いたこの作品は、今日の国際社会のなかで普遍性を獲得するものになっているといっていい。これからも、この作品は、ヒューマニズムの物語として、読み継がれていくことになるのだろうと思う。

また、基本的に、章ごとに視点をきりかえる手法など、小説の作り方としても、かなり大胆なこころみの作品である。文学史的に、このような手法のことがどう位置づけられるのか、不案内なのだが、小説技法の面でも、興味深い作品であることは確かである。

2021年8月28日記