スイカズラ2021-08-11

2021-08-11 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので花の写真である。今日はスイカズラ。

前回は、
やまもも書斎記 2021年8月4日
ハコネウツギ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/08/04/9404305

今週も撮りおきのストックからである。

先週のハコネウツギと同様に、スイカズラも色の変わる花である。初夏に花をつける。我が家の近所に二~三箇所、確認しているのだが、これは、我が家から最も近いところのものである。ウツギの白い花が咲くのと、ほぼ時を同じくして花を咲かせる。写真に撮るときには、このスイカズラの花とウツギと、同時に写真に撮って家に帰ることになる。これを、何度かくりかえした。

今年は、花の咲く前のときから写すことができた。綠色だったものが、徐々に白くなって、白い花を咲かせる。それも、時間がたつと、黄色く変わってくる。二つの色の花が混在しているときがある。

ヤブのなかに咲いている。簡単には近づくことができないので、180ミリのレンズをつけていった。

今年は、なぜか我が家の百日紅の花が咲かないようだ。家からちょっと自動車で行ったところの百日紅は、今紅い花を咲かせている。このまま我が家では百日紅の花を見ずに、この夏は終わることになるのだろうかと思ったりしている。

スイカズラ

スイカズラ

スイカズラ

スイカズラ

スイカズラ

スイカズラ

Nikon D500
TAMRON SP AF 180mm F/3.5 Di MACRO 1:1

2021年8月10日記

追記 2021年8月18日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年8月18日
ユウゲショウ
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/08/18/9411609

映像の世紀プレミアム(1)「世界を震わせた芸術家たち」2021-08-12

2021-08-12 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム(1)「世界を震わせた芸術家たち」

NHKが「映像の世紀」「新・映像の世紀」と再放送をして、つづけて、「映像の世紀プレミアム」から、いくつか選んで放送するようである。

確か、この放送は見たかと思うのだが、「映像の世紀」「新・映像の世紀」と見直してみた目で、さらに見てみることにした。

よくまとまっていると感じる。第一次世界大戦から、二一世紀の今日まで、各時代の出来事をたどりながら、それを「芸術」という視点でとらえている。この場合、「芸術」はかなり広義にとらえることになる。時代を動かした「芸術」である。

その芸術家として、番組の最初に登場し、また、最後を締めくくったのは、トルストイであった。今、トルストイを芸術家とは思わないかもしれない。だが、トルストイの書いた小説は、芸術として書かれ、読まれたのであった。このあたりの価値観の移り変わりが、近代における文学のあり方を考えるうえで、興味深いところかとも思う。

ところで、このような放送を見ると、天邪鬼な私としては、いったい何が映っていないか……というようなことを思いながら見ることになる。出てきてもいいだろうと思いながら、出てきていないのが、プルーストである。あるいは、プルーストについては映像資料が残っていないのかもしれない。だが、それはそれとして、一九世紀から二〇世紀にかけての最大の芸術家の一人として、なにがしかの言及があってよかったかと思う。

最初の「映像の世紀」から比べると、「映像の世紀プレミアム」は、歴史に対してするどく批判的な視点をもっている。戦後、いわゆるカウンターカルチャーの若者たちを描いたシーンで、セックスとドラッグのことに言及していたのは、なるほどこれはこれで正しいと思って見ていた。(これが、以前の「映像の世紀」では、まったく言及することが無かったと覚えている。)

また、第二次世界大戦の終わりを、一九四五年九月二日としていたのも、これはこれで一つの歴史の見方である。戦艦ミズーリにおいて、日本が降伏文書に調印した日である。玉音放送のあった八月一五日ではなく。

さて、トルストイであるが……光文社古典新訳文庫版の『戦争と平和』がようやく完結するようだ。これも、読んでおきたいと思う。これまで、新潮文庫版、岩波文庫版と読んでいるのだが、新しい訳で、さらに読んでおきたい。芸術家が、歴史に対して何を語りうるのか、COVID-19の時代においてさらに考えてみたいと思う。

2021年8月11日記

プロジェクトX「翼はよみがえった(後編)」2021-08-13

2021-08-13 當山日出夫(とうやまひでお)

プロジェクトX 「翼はよみがえった 後編 YS-11開発」

続きである。
やまもも書斎記 2021年8月5日
プロジェクトX「翼はよみがえった(前編)」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/08/05/9404623

YS-11については、世代によっていろいろと思うことがあるだろう。私ぐらいの年代だと、戦後日本の復興、経済成長の一つのシンボルであったようなところがある。

だが、そのYS-11も、その後の後継機が作られることなく、終わりを迎えることになる。今、日本の飛行機産業は、いったいどうなっているのだろうか。ただ、技術力だけをとりだしてみるならば、それなりのものもを持っているのだろうが、製品として作りだして世界に通用するかどうかとなると、もはやかなり難しいのかもしれない。(それに今般のCOVID-19による、世界的な航空産業の落ち込みも加わっている。)

番組を見ていて思ったこととしては、やはり人材の育成ということだろう。設計、製造の現場において、技術者を育てていく……このことの重要性を強く感じた。それには、継続して製品を作り続けなければならない。それが途切れたとき、人材の連続もとぎれることになる。

YS-11については、戦前からの飛行機技術の継承ということが、ギリギリ可能な段階であった。また、それを受け継ぐ若い人材も多くいた。が、これも、YS-11の後継機を作れなくなってしまえば、途切れてしまわざるをえない。

番組では、あまり触れることが無かったが、YS-11を作った東條輝雄。東條英機の子どもである。その人生も興味深いものかもしれない。(ちょうど今日のニュースとしては、東京裁判死刑囚の記録が見つかったことが報じられている。)東條英機は日本という国家を背負った人間であったことは確かである(その是非はおいておくとして)。そして、YS-11のプロジェクトも、また戦後日本の国家プロジェクトである。ここで、何を思うことになったのか、興味のむくところであることは、やむを得ないことかもしれないのだが。

ここで年寄りめいた感想を述べてみるならば……YS-11を作ることのできた時代は、ある意味で日本の良かったかつての時代だったのかもしれない。

2021年8月12日記

追記 2021年8月19日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年8月19日
プロジェクトX「日米逆転!コンビニを作った素人たち」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/08/19/9412591

らじる文庫「人見絹枝の自伝」2021-08-14

2021-08-13 當山日出夫(とうやまひでお)

このところ、まとまって本を読む時間がとれないので……夏の多忙な時期ということもあり、また、CVOVID-19のこともあり……PCでラジオを聞いている。

ラジオは、ラジオで聞くものだと思っているのだが、しかし、インターネットのおかげで、聞き逃し配信を、過去にさかのぼってきけるようになっている。これはありがたい。NHKを朗読をキーワードに検索するといろいろと出てくる。なかで気に入ったのが、「らじる文庫」である。

らじる文庫
https://www.nhk.or.jp/radio/audiobook/

今聞くことができるものとしては、「岡本かの子「食」に関する随筆」「山本周五郎の随筆」「夏の随筆」「人見絹枝の自伝」「野口米次郎随筆「梅雨」」などがある。どれも、おそらく、このシリーズの中に入っていなければ知らずに過ぎてしまっただろう作品ばかりである。

このうち「人見絹枝の自伝」が面白かった。人見絹枝は、オリンピックにおける日本で初の女性のメダリストということで知ってはいた。また、先年のNHK大河ドラマ「いだてん」にも登場していた。だが、それ以外のことは、ほとんど知らなかったといってよい。

この自伝の文章を聞いて(この場合、「読んで」とは書きにくい)……人見絹枝が高等女学校を出てから新聞社につとめた、最初女性スポーツ記者であったことを知った。無論、戦前のことである。スポーツの世界は、アマチュアリズムの時代でもある。女性記者をしながら、陸上にはげんでいた。

オリンピックに出場するのも、その費用は寄付によるしかなかった。そして、出場したオリンピックで、本来の種目である一〇〇メートルで敗退する。このままでは日本に帰れないと思った彼女は、八〇〇メートルにいどみ、そして銀メダルになる。

このオリンピックのことを軸に、競技にかける思いや、故郷の日本のことなど、実に率直に綴られている。文章としても非常にいい。(これは、NHKのアナウンサーが読んでいるので、そのうまさということもあるのだが。)

日本に帰った人見絹枝は、残念なことにまもなく病死することになる。(このことも、このラジオを聞いて知った。)

たぶん、放送の企画としては、今年のオリンピック開催にあわせたものだったろうと思う。私の場合、今年の東京オリンピックを、そんなにテレビを見るということもなくすごしてしまった。たまに、テレビをつけると、どの局もオリンピックしか放送していないので、たまたま見てしまうというようなことである。

オリンピックでメダルをとることの意味は、時代や国家、おかれた環境によって違う。人見絹枝の場合、今よりももっと国家の重圧というものがあったかと感じられる。しかし、そのような重圧があるとしても、遠い異国にあって、その地の風光のなかですごし、日本のことを思い、また、自らの競技のことを思っている。その感覚は、時として、非常に繊細である。

オリンピックは、様々なドラマを生んできた。そのなかにあって、人見絹枝の残した文章は、これからも読み継がれていく価値のあるものだと思う。

2021年8月12日記

『おかえりモネ』あれこれ「風を切って進め」2021-08-15

2021-08-15 當山日出夫(とうやまひでお)

『あかえりモネ』第13週「風を切って進め」
https://www.nhk.or.jp/okaerimone/story/week_13.html

前回は、
やまもも書斎記 2021年8月8日
『おかえりモネ』あれこれ「あなたのおかげで」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/08/08/9406311

百音はスポーツ気象にかかわることになった。

この週の見どころは、次の二点ぐらだったろうか。

第一には、車椅子マラソン。

選手の鮫島の依頼で、百音の会社は、車椅子マラソンにかかわることになる。鮫島としては、選考会の当日の気象条件にあわせてレース展開を考えている。ここのところの心づもりが、最初のうちは、どうもうまくかみ合っていなかったようだ。

しかし、選考会の日、風が吹いた。用意していたプランBで勝負にのぞむ。結果、鮫島は、目指すタイム内でゴールすることができた。

このあたりの、百音と鮫島とのやりとりが、少々もどかしい感じはするものの、最終的に、お互いの気持ちを理解し合えることができて、よかったことになる。

第二には、菅波とのこと。

やはり菅波には、過去があった。医師になりたての新人のころのことである。治療の方針をめぐって、自分の意見を通してしまったばかりに、ある意味で失敗をおかしてしまう。それが、菅沼には、こころの重荷になっていたようだ。

その話を百音は聞くことになる。そして、やさしく背中をさすってあげる。このあたりに、百音の心情のやさしさが表現されていたかと思う。

以上の二点が、この週のポイントかと思って見ていた。

ところで、お風呂屋さんの宇田川さん。なかなかの達筆である。まだ姿を見せないのだが、ドラマのなかでは、確固たる存在感を感じるようになってきた。

次週、百音の父親が東京に出てくることになるようだ。百音も、テレビ局の仕事で変化があるらしい。楽しみに見ることにしよう。

2021年8月14日記

追記 2021年8月22日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年8月22日
『おかえりモネ』あれこれ「離れられないもの」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/08/22/9413743

映像の世紀プレミアム(20)「中国 “革命”の血と涙」2021-08-16

2021-08-16 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム 20 中国 “革命”の血と涙

一四日の夜の放送。録画しておいて、翌日の朝に見た。

NHKが「映像の世紀」「新・映像の世紀」と再放送してきたのを見て思ったことがいくつかある。そのなかの一つに、中国のことがある。「映像の世紀」「新・映像の世紀」では、ほとんど中国のことが描かれていなかった。ベトナム戦争のことを描いても、その背景にある中国の存在、また、ベトナムと中国との争いのことも無かった。

「映像の世紀プレミアム」が、ここにきて中国をとりあげるというので、これは是非見ておきたいと思った。

描いていたのは、概ね辛亥革命から天安門事件まで。これはこれで、一つの中国近代史をなぞった描き方であると思う。特に、中国共産党の成立から、蒋介石との確執を経て、共産党一党支配を確立するプロセス。そして、その後の、毛沢東による文化大革命の顛末。(毛沢東を礼賛するサルトルの声が興味深かった。)

やはり気になっていたのは、天安門事件をどのように描くかということである。今でも、中国においては、天安門事件は、タブー視される出来事である。そこにどこまで踏み込んだことを語るか、興味があった。

たぶん、今のNHKとしては、できる限り天安門事件に迫ったというところであろうか。中で興味深かったのは、有名な、戦車の前に立つ男性の映像。これまで、天安門事件といえば必ず出てきた映像である。これについて、批判的に語っていた。どうやらこの映像は、謎につつまれているようだ。何故、男性は軍が支配しているはずの天安門に現れたのか、何故、戦車は強引に男性を排除することをしなかったのか。その後、男性はどこに行ったのか。そもそも、その男性の正体はいったい誰なのか。

映像は、確かに説得力がある。だからこそ、そこに史料批判の目が必要になる。プロパガンダ映像は、その目で、検討することになる。(これは、そうと分かって見るならば、プロパガンダ映像であっても、逆の観点から史料になりうるということでもある。)

これまで見てきた「映像の世紀」「新・映像の世紀」「映像の世紀プレミアム」のなかで、史料批判の視点を、もっとも感じさせる編集になっていたと思う。

また、何よりも気になったのは、どこで終わりにするか、である。近年の問題である、新疆ウイグル自治区の問題に言及することがあるのか、気にはなった。ここは、天安門事件までということで、線を引いた編集になっていた。

しかし、だからといって、中国共産党の一党支配を全面的に肯定した編集にはなっていない。そこにある歴史的な大きな問題点を、巨視的に見るということになっていたかと思う。一党支配は、いずれ終焉を迎えるときがくるだろう。それは、人びとの意識と動きによって、容易にくつがえりうるものかもしれない。かつての、文化大革命のときがそうであったように、中国の人びとのエネルギーは巨大である。

番組を見ていて、出てこなかったこととして思ったことは……外国との関係がある。日中戦争はふれることがあったが、そう踏み込んだものではなかった。当時の中国における、西欧列強諸国の権益の問題が重要であるとは思うのだが。ソ連とのことは、少し出てきていたが、それ以外の外国とのことはほとんど出てきていない。モンゴルとの関係も、また、ベトナムとの関係も無かった。北朝鮮も登場しなかった。インドとのことも出てこなかった。また、香港のことについては、一切ふれることが無かった。台湾のことも、あつかっていない。

少数民族として登場していたのは、せいぜいチベットが少し出ていただけである。中国共産党一党支配は、国内的には少数民族への圧政という側面もある(その一つが、現在の新疆ウイグル自治区の問題でもある。)

天安門事件もまた、その時代の世界の潮流のなかでおこるべくして起こったできごとといえるだろうか。この意味では、世界の巨大なうごきのなかで、これからの中国も考えていかねばならないことになる。(これからのWEBの時代、中国は、どこまで情報鎖国的政策をつづけることが可能だろうか。)

編集の方針としては、中国共産党の一党支配と、そのもとにあった人びと……これはいわゆる「中国人」といっていいのだろうが……このあたりのことが中心であったかと思う。昨今の中国情勢のなかにあって、よく作ったという印象があると同時に、やはり、何かしらの物足りなさを感じずにいられなかった。

とはいえ、いわゆるチャイナドレスが、実はモダンな装いであったことなど、いろいろ興味深いものであったことは確かである。たまたま今読んでいる本……『天国でまた会おう』……で、第一世界大戦後のフランスで働く中国人労働者が出てくる。フランス語が読めないという設定。これは、その当時、中国からフランスに売られた苦力としてよいのかとも思う。

2021年8月15日記

『青天を衝け』あれこれ「パリの御一新」2021-08-17

2021-08-17 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第24回「パリの御一新」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/24/

前回は、
やまもも書斎記 2021年7月20日
『青天を衝け』あれこれ「篤太夫と最後の将軍」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/07/20/9399807

オリンピックをやっている間に、明治維新になってしまった。

久しぶりの放送である。オリンピックのため、三回ほどの中断があった。この回を見て思うことなど、書いてみると、次の二点ぐらいだろうか。

第一に、明治維新。

これまで明治維新は、多くのドラマで描かれてきている。それを、その当時、海外……パリ……にいたものの視点から描くというのは、これはこれとして、非常に興味深いものであった。むしろ、日本にいて、その動乱の渦中にいるものの視点で見るよりも、巨視的に時代の流れというものを描くことに成功したといえるかもしれない。

それにしも、パリ万博にやってきて、西洋の文明に驚いているばかりの栄一たちにとって、はるか故郷の政変は、唐突なできごとであり、また、どうしようもないもどかしさを感じるものでもあった。

第二に、新しい経済。

パリで栄一は、社会の経済の仕組みを学ぶ機会を得ることになる。公債の運用であり、社会資本の構築である。ここで、栄一は、新しい社会の経済の仕組みを、身をもって体験することになる。これが、日本に帰国してからの渋沢栄一の活躍の土台になることは、確かなことなのだろう。

以上の二点のことを思ってみる。

そして、パリにあって、栄一は愛国者である……このことばはドラマでつかってはいないが……国のことを思って、パリに来ていることの意味を再確認しようとしている。

次週、栄一たちは帰国し、日本では名維新の動乱がつづくようだ。この時代、たまたまパリにいたということが、栄一にどのような影響を与えることになるのか、今後の展開のなかで描かれることになるのだろう。栄一の目で見た、新しい日本とはどのようなものであったのか、希望をいだくことになるのか、それとも絶望か。どのようになるか、楽しみに見ることにしよう。

2021年8月16日記

追記 2021年8月24日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年8月24日
『青天を衝け』あれこれ「篤太夫、帰国する」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/08/24/9414504

ユウゲショウ2021-08-18

2021-08-18 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日は花の写真。今日はユウゲショウである。

前回は、
やまもも書斎記 2021年8月11日
スイカズラ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/08/11/9408174

この夏はちょっとおかしい。猛烈に熱い日がつづいていたかと思うと、こんどは連日の雨である。ここ一週間ほど、カメラを持って外に出ていない。朝おきると雨が降っている。昼間も降っている。

撮りおきの写真のストックからである。

ここに掲載の写真は、かなり以前に写したものだが、しかし、花は今でも咲いている。雨のやみまに、駐車場の空き地に行ってみると、この花の咲いているを確認できる。

ユウゲショウの花の時期はかなり長い。春になって桜が終わるかというころになって咲きはじめる。そして、長い間咲いている。もう今は八月である。手元の簡便な図鑑を見ると、ユウゲショウの花は、春の花になっていたり、あるいは、夏の花になっていたりする。

この雨もあと数日はつづきそうである。そろそろ秋の花のシーズンになる。木槿の花が咲くだろうかと思って見ている。庭のギボウシの花も咲いている。来月になれば、杜鵑草の花が咲きはじめるだろうと思う。

ユウゲショウ

ユウゲショウ

ユウゲショウ

ユウゲショウ

ユウゲショウ

ユウゲショウ

Nikon D500
AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

2021年8月17日記

追記 2021年8月25日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年8月25日
露草
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/08/25/9414973

プロジェクトX「日米逆転!コンビニを作った素人たち」2021-08-19

2021-08-19 當山日出夫(とうやまひでお)

プロジェクトX 日米逆転!コンビニを作った素人たち

続きである。
やまもも書斎記 2021年8月13日
プロジェクトX「翼はよみがえった(後編)」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/08/13/9409193

火曜日の夜の放送を、いつものように録画しておいて、水曜日の昼間に見た。

私が東京で暮らし始めたのは、一九七〇年代の半ばのことである。そのころ……今からふりかえってみればであるが……東京の街に、ちらほらとコンビニができはじめていたころということになる。東京で暮らしている間には、その恩恵にはあまりあずかってはいなかったと覚えている。ただ、住んでいるところの近くにできた新しいお店が、朝の七時から、夜の一一時までやっている、ということだけは鮮明に記憶している。思えば、そればセブンイレブンという店を認識した始めだった。

今では二四時間営業があたりまえだが、できた当時は、文字通り「セブン」「イレブン」であったのである。

番組は、二〇〇〇年の放送。これも、今から二〇年以上前のことになる。今ではどうだろうか。コンビニは、日本の人びとの生活になくてはならないものになっている。また、小売り・流通の分野においても、コンビニでどう売るかというのが、重要な課題になっている。

閑居したような生活の今の私でも、コンビニで買い物をすることはある。週に一回……無事に後期から授業がはじまればであるが……学校に行くとき、昼食のおにぎりを買ったり、コーヒーを買ったりなどである。これが、コンビニがなくなってしまうと、途端に困ることになる。

私などの世代だと、日常生活の中にコンビニがある時代の前と後を知っていることになる。この意味では、プロジェクトXのいくつかの企画は、戦後の日本の人びとの生活誌になっている。コンビニの歴史もまた、日本の人びとの生活そのものであるといっていいだろう。

2021年8月18日記

追記 2021年8月27日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年8月27日
プロジェクトX「チェルノブイリの傷 奇跡のメス」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/08/27/9415872

映像の世紀プレミアム(2)「戦争 科学者たちの罪と勇気」2021-08-20

2021-08-20 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム (2) 戦争 科学者たちの罪と勇気

月曜日の放送を録画しておいて、後日に見た。雨が降っている日である。いや、このところ毎日雨である。

これは、二〇一六年の放送の再放送。最初の放送のときに確か見ているかと思うのだが、改めて見て、また、「映像の世紀」「新・映像の世紀」と再放送を見た目で見て、いろいろと思うことがある。

究極的には、社会の価値から中立的な、純粋な科学、あるいは、科学技術というものがあり得るのだろうか、ということになろう。また、この問いを別のことばでいうならば、科学者の社会的責任ということにもなる。

番組であつかっていたのは、古くはノーベルによるダイナマイトの発明。そして、第一次世界大戦、第二次世界大戦、冷戦、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、アフガニスタンでの戦い。

おりしも、アフガニスタンから米軍が撤退するということで、カブールの陥落がつたえらえた直後の放送ということになった。これは、NHKの意図したことではなかったろうが、これもまた、米軍の最新兵器が、カラシニコフに敗れた戦いの一つということになるのかもしれない。

覚めた見方をするならばであるが、この世から戦争がなくならないかぎり、戦争と科学の問題はついてまわる。ただ、軍事に協力しなければそれでよいということではすまない。いやこれからますます、狭義の軍事技術と、それ以外の科学、科学技術とは、不可分のものになっていくだろう。

ここで考えてみるべきは、「科学技術」というが、これを、本来の意味にさかのぼって、「科学」と「技術」に分けて考えることかもしれないとも思う。これは、本来は別のものであるはずである。それが、密接不可分に結びつくことになるのが、特に軍事の部分であるといえるだろうか。

月並みな感想になるが、ここは世の中の人びとの意識、政治のちからと、そして、地道な教育のつみかさね……このあたりにしか、未來への希望を見出すことは難しいように思ったのである。

2021年8月19日記