映像の世紀プレミアム(5)「グレートファミリー 巨大財閥の100年」2021-09-09

2021-09-09 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム(5) グレートファミリー 巨大財閥の100年

「映像の世紀」「新・映像の世紀」と再放送してきて、「映像の世紀プレミアム」も再放送がつづくようである。見たものもあるし、見逃したものもある。再放送が続くなら、これを機会に見てみようと思う。

グレートファミリーについては、以前の「新・映像の世紀」でも一回をつかって放送していた。「映像の世紀プレミアム」になって、そう大きく変わったということもないように思う。

とはいえ、新しく編集して変わったとことろしては、次の二点ぐらいがあるだろうか。

第一には、アメリカの凶作。以前の「新・映像の世紀」では、1930年代のアメリが中心であった。第一次世界大戦後の未曾有の繁栄と、そこにうまれた巨大企業。グレートファミリー。と同時に、その後の、アメリカ社会のことも描かれていたのを思い出す。農村を襲った凶作である。これは、スタインベックが『怒りの葡萄』で描いている。しかし、今回の「映像の世紀プレミアム」では、これは割愛されていた。

第二には、逆に、以前の放送にはなくて、今回の「映像の世紀プレミアム」で新しく加わった部分がある。それは、ヨーロッパのロスチャイルド家のこと。(確か、これは、以前の放送では、触れられていなかったかと記憶する。)

それから、第二次世界大戦後の新たな大企業、富豪。ヒルトンホテルのことや、海運王と呼ばれたオナシスのことなど。ジャックリーンも登場していた。

以上の二点ぐらい、新編集で異なるところはあるが、基本的なメッセージとしては、共通するものがあると感じる。

第一には、グレートファミリーは、今に続いていることである。アメリカの巨大企業は、その影響力を今にいたるまで保ち続けている。また、巨大企業は、軍事産業と不可分のものとしてあったことも、忘れてはならないことだろう。

第二には、今から一〇〇年前からあるグレートファミリー。それは、ある意味では、社会の分断と対立でもある。一部の富めるものと、そうではない多数のもの。この構図は、二一世紀の今日になっても変わらないといっていいだろう。いや、むしろ、その傾向は拡大しているといってもいいのかもしれない。

ざっと以上のようなことを思って見る。

グレートファミリーは、資本主義経済である以上、どうしても生じるものなのだろうか。が、その今日の世界にあって、アメリカ的な資本主義社会と異質な経済圏が生まれてもいる。一党独裁国家である中国の台頭であり、また、イスラム諸国の動きである。最近のうごきとしては、アフガニスタンの情勢が気になる。

グレートファミリーの象徴が、ニューヨークの世界貿易センタービルであったとするならば、それを標的とした二〇〇一年のテロは、新たな時代の幕開けであったのかもしれない。二一世紀になって二〇年あまり。その答えは、まだ分からないというべきであろうか。

2021年9月8日記

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