『青天を衝け』あれこれ「篤太夫と八百万の神」2021-09-28

2021-09-28 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第28回「篤太夫と八百万の神」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/28/

前回は、
やまもも書斎記 2021年9月21日
『青天を衝け』あれこれ「篤太夫、駿府で励む」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/21/9425579

明治になったせいなのか、徳川家康が出てきていなかった。この回は、明治新政府に栄一が出仕するまでの経緯。印象的なことを書くと、次の二つの場面ぐらいだろうか。

第一には、大隈重信。

大隈重信は、栄一に、新政府につかえるように懇願することになる。熱弁をふるうのだが、見ていてどこかしら滑稽でもあった。(えてして、人は大真面目になるほど滑稽味をおびてくるものなのであるが。)

興味深かったのは、そのことば。まだ、明治となったばかりで、近代の標準的なことば……日本語といってもいいし、国語といってもいいのかもしれない……が、できていない。明治政府のなかは、まさに、井上ひさしが書いた『国語元年』の状況にある。これで、コミュニケーションがとれていたのだから、これはこれとして、ドラマとして見るとしても、いろいろと考えるところがある。

結局、栄一は、大隈重信に言いまかされ、明治の新政府に出仕することになった。

第二には、徳川慶喜。

駿府に帰って、栄一は、慶喜に会う。そこで、慶喜は、栄一に新しい政府につかるように命じることになる。このとき、栄一は、これまで使っていた、篤太夫という名をもとの栄一にもどす。

ふりかえってみるならば、篤太夫という名前は、一橋家、それから、幕府につかえていたときの名前である。これがもとの栄一にもどるということで、新しく生まれかわって、明治の新政府に仕える覚悟を決めたということなのであろう。

この慶喜との面会シーンが、良かった。幕府があったころのような、厳格な身分の違いがあるわけでもなく、それでいて、旧来の主従の関係をたもっている、微妙な距離感が演出されていたように感じる。

以上の二点が、印象にのこるところなどである。

それから、千代がなかなかいい感じである。これからの渋沢栄一の活躍を影でささえる内助の功という雰囲気を、うまく出している。

また、「東京」は、明治になったばかりのころなら「とうけい」だろうと思っていたのだが、はたしてどうだろうか。

次回、明治新政府での栄一を描くことになるようだ。楽しみに見ることにしよう。

2021年9月27日記

追記 2021年10月5日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年10月5日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、改正する」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/10/05/9429557