『スリープウォーカー』ジョセフ・ノックス/池田真紀子(訳)2021-09-11

2021-09-11 當山日出夫(とうやまひでお)

スリープウォーカー

ジョセフ・ノックス.池田真紀子(訳).『スリープウォーカー』(新潮文庫).新潮社.2011
https://www.shinchosha.co.jp/book/240153/

シリーズになっている三冊目なのだが、実は、この作者の作品を読むのは始めてである。読んだ印象を一言でいえば、今年のミステリベストには必ずはいるだろう、といったところである。

幾重もの謎がちりばめられている。

余命わずかな受刑者が、病院で殺された。この犯人は誰なのか。また、そもそも、その事件の本当の犯人なのか。ここにかかわることになるのが、エイダン・ウェイツ。警察官である。

だが、単純な探偵小説というのではない。文庫本のこの本の紹介にはノワールとある。人の世の暗黒面を描いた小説とでもいえばいいのだろうか。そして、警察小説、それも、いわゆる悪徳警察官小説として書かれている。

そこに、本格ミステリの謎解きが非常にたくみにからんできている。謎解きの部分と、悪徳警察官小説とが、見事に合体しているといっていいのだろう。

さらに、主人公のエイダンの身の上をめぐって、謎が重ねてある。読みごたえ十分である。

さて、この作品を読んで、さかのぼって過去のシリーズ作を読んでみたくなってはいるのだが、どうしようかというところである。他に読まねばならない本、読みたい本が、たくさんたまっている。

2021年9月10日記

『おかえりモネ』あれこれ「わたしたちに出来ること」2021-09-12

2021-09-12 當山日出夫(とうやまひでお)

『おかえりモネ』第17週「わたしたちに出来ること」
https://www.nhk.or.jp/okaerimone/story/week_17.html

前回は、
やまもも書斎記 2021年9月5日
『おかえりモネ』あれこれ「若き者たち」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/05/9419681

この週もいろいろあった。印象に残ることを二つばかり書いてみる。

第一に、莉子のこと。

気象キャスターを降板することになりそうだった。視聴率がどうも上がらないらしい。朝岡のアイデアとして、内田の起用ということになる。ここで、興味深かったのは、放送局の高村の存在。以前、報道のキャスターを降板した過去があるようだ。莉子を支えることができるひととして、高村がいることを、計算にふくめての判断だったのかもしれない。

が、ともあれ、気象キャスターは、莉子と内田の二人の交替でつとめるということになった。

ここで、問われているのは、気象情報に何を求めているのかという、一般の視聴者……それは、このドラマの視聴者をふくめてということになるが……のことであるようにも思える。ただしい情報を、どのように伝えるのか、誰がどんなふうに語ることを望んでいるのか、ここは、むしろドラマの視聴者への問いかけであったように思えてならない。

第二に、モネのこと。

菅波は、登米の診療所に専念することになる。あまり会う機会もなくなる。そのモネに、菅波は、自分の住まいの鍵をわたす。

しかし……医師である菅波の部屋には、組手什で作った本棚があったが、医学書よりも、サメの本の方が多い。サメのぬいぐるみもあった。また、モネにわたした鍵についていたキーホルダーも、サメであった。(二人で、博物館にサメを見に行くということは、あれからどうなったのだろうか。)

引っ越しが迫る菅波とモネは、会うことになる。もう必要なくなるからと、モネは、鍵を投げてわたす。それを、菅波はキャッチすることができた。これまで菅波は、投げてよこされたものを受け取れていない。ここは、このシーンのための伏線だったのだろうか。あるいは、過去のそんなシーンをふまえての、脚本だったのだろうか。

以上の二つぐらいのことが、印象に残るところである。

さらに書いてみるならば、銭湯の菜津さん。そのやさしいことばが、こころに残る。

次週、気象情報をめぐって、物語は展開するようだ。モネと菅波もどうなるのか。楽しみに見ることにしよう。

2021年9月11日記

追記 2021年9月19日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年9月19日
『おかえりモネ』あれこれ「伝えたい守りたい」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/19/9424865

『刺繍する少女』小川洋子2021-09-13

2021-09-13 當山日出夫(とうやまひでお)

刺繍する少女

小川洋子.『刺繍する少女』(角川文庫).KADOKAWA.1999(KADOKAWA.1996)
https://www.kadokawa.co.jp/product/199999341004/

続きである。
やまもも書斎記 2021年9月4日
『人質の朗読会』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/04/9419295

短篇集である。これを読むと、小川洋子という作家は、怖い話し、ユーモアのある話し、奇妙な話し……そして、これらがいりまじったような作品世界を構築していることがわかる。

収録するのは、次の作品。

刺繍する少女
森の奥で燃えるもの
美少女コンテスト
ケーキのかけら
図鑑
アリア
麒麟の解剖
ハウス・クリーニングの世界
トランジット
第三火曜日の発作

どれも短い作品ばかりである。が、短い作品がどれも印象深い。小説を読むたのしさ、というものを、この短篇集から強く感じる。

これらの作品に共通してあるのは、日常的な風景のすぐとなりにある怖さとでもいうべきだろうか。といって、村上春樹の作品のように、異世界がそこにあるという感じではない。日常的な感覚のなかに、いつの間にかとけこんでくるような怖さである。

2021年5月31日記

追記 2021年9月18日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年9月18日
『ホテル・アイリス』小川洋子
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/18/9424603

『青天を衝け』あれこれ「篤太夫、再会する」2021-09-14

2021-09-14 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第26回「篤太夫、再会する」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/26/

前回は、
やまもも書斎記 2021年8月24日
『青天を衝け』あれこれ「篤太夫、帰国する」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/08/24/9414504

オリンピック、パラリンピックをやっている間に、明治維新がおこり、幕府がなくなってしまった。だが、徳川家康はまだ健在なようだ。

この週は、日本に帰ってきた栄一と、日本にいた人びととの再会のものがたり。印象に残っているのは、次の二人だろうか。

第一には、千代である。

数年の間、幕府につかえ、また、外国に行ってしまうことになった夫の帰りを、一人娘と一緒に千代は待っていた。が、渋沢の家の一員であり、そうかるがるしく、栄一が帰ったからといって、すぐに二人になるというわけにもいかない。

このあたりのどうにももどかしい、屈折した感情を、橋本愛が見事に演じていたように思う。

第二には、慶喜である。

駿府に隠居した慶喜のもとを栄一はおとずれる。ここで興味深かったのは、面会のシーンで座る位置。

これまでだったならば、二人の間は、少なくとも畳一枚の隔てをおいたはずである。それが、この慶喜との面会シーンでは、なかった。もっと近接した距離で会っていた。が、そのために、縁の無い畳をつかうとか、畳と畳の間のところに座ることにになるとか、演出上の工夫があったように見える。

これは、御一新があって、徳川幕府がなくなったということで、もはや、封建的な主従の関係がなくなってしまったということを、表現しようとしていたのだろうとは思う。

最後の将軍というものを、草彅剛が、うまく見せていたように感じる。

以上の二つの再会が、この回で印象に残っているところである。

次週以降、いよいよ明治の時代の物語になるようだ。楽しみに見ることにしよう。

2021年9月13日記

追記 2021年9月21日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年9月21日
『青天を衝け』あれこれ「篤太夫、駿府で励む」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/21/9425579

ニラ2021-09-15

2021-09-15 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので花の写真の日。今日はニラである。

前回は、
やまもも書斎記 2021年9月8日
ギボウシ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/08/9420898

秋になろうかというころに花をつける。夏休みの終わり、外に出て秋の気配の写真でも撮ってみようかという時期に、目にする花である。空き地に咲いている。

今年は、萩の花でも写そうかと思って家を出て、この花の咲いているのを目にした。萩の花は、まだである。白い萩の花が、ポツリと咲いていた。これも来週ぐらいになると、たくさん咲くだろうかと思う。

今年、ニラの花を撮っていると、蝶々のとまっているのに気づいた。かなり長く花にとまっていた。写真を撮っても、あまり逃げる気配がない。(昆虫については、とんと知識がないので蝶々の種類が分からないのが残念である。)

彼岸花はまだ咲かない。が、様子を見には出かけるようにしている。また、そろそろ、ムラサキシキブの実を見に行こうかとも思っている。写す花も徐々に秋のものになりつつある。

ニラ

ニラ

ニラ

ニラ

ニラ

Nikon D500
AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

2021年9月14日記

追記 2021年9月22日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年9月22日

https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/22/9425890

映像の世紀プレミアム(6)「アジア 自由への戦い」2021-09-16

2021-09-16 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム (6) アジア 自由への戦い

再放送である。この回の最初の放送のときのことは見た記憶がある。

思うこととして、二点ほど書いてみる。

第一に、最も印象に残るのは、溥儀である。

ラストエンペラーとして名前は知っている。歴史書、小説などでも、たびたび登場する。その場合、多くは、清朝の最後の皇帝であり、満州国の皇帝としてである。

満州国の評価ということについては、日本の傀儡国家ということににはなるのだろうが、その歴史的な意味、今日にまでつながる意義ということについては、いまだに決着を見ているとはいいがたいかもしれない。が、溥儀の名前は、満州国とともに、日本の人びとには記憶されている。

その溥儀の姿を、映像として目にすると、何よりも百聞は一見にしかず……歴史的映像として、その迫力を感じる。

第二に、インドのこと。

ガンジーとボースのことが出てきていた。これは、最初の放送を見たときにも感じたことであるが、どうもこの番組では、ガンジーを理想化して描きすぎているように思えてならない。現実にインド、パキスタンの独立ということになった要因としては、ガンジーのちからもさることながら、現実的な問題として、ボースのような活動があったからだろうとは思うところである。

しかし、だからといって、ガンジーのかかげた理想が、色あせるということではない。いや、近年のアフガニスタンの情勢など見ていると、ここで再びガンジーの時点にまでたちかえって考えるみる必要があるのではないかとも感じる。

以上の二つぐらいが、特に印象に残っているところである。

この回は、アジアをあつかっていた。が、はたして、アジアは一つなのだろうか。地域的にみて、サウジアラビアまでアジアといってしまうのは、ちょっと普通の感覚とはことなる。(このあたり、井筒俊彦のいう「東洋」という発想とも、ちょっと関係してくる。)

アジアを地域的に認定するとしても、そのなかにおける、国家、民族、言語、文化、宗教は、まさに多様である。一つの理念でまとめて論じることは、かなり難しいのではないだろうか。この意味では、最後に登場していたブルース・リーのことばが印象的である。

2021年9月15日記

プロジェクトX「薬師寺 幻の金堂・ゼロからの挑戦」2021-09-17

2021-09-17 當山日出夫(とうやまひでお)

プロジェクトX 薬師寺 幻の金堂・ゼロからの挑戦

前回は、
やまもも書斎記 2021年9月10日
プロジェクトX「ワープロ 運命の最終テスト」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/10/9421840

この回は、薬師寺の話し、というより、西岡常一の話しといった方がいいだろう。もう故人となってしまったが、日本を代表する宮大工といっていい存在である。

見ていて思ったことは、次の二点ぐらいである。

第一に、西岡常一のこと。

まさに、職人ということばがふさわしい。あつまった弟子に何も教えない。ただ、仕事をするだけである。

そういえば、昔は、このような職人が多かったのだろう。学問の世界でも、特に人文学系はそうだと思うが、いわゆる指導らしいことは何もしない先生が多くいた。それでも、弟子は育っていったものなのである。(だが、もうそんな、学問の時代も終わってしまった。)

第二に、薬師寺のこと。

これは、文化財という観点から考えてみるのだが、薬師寺金堂の再建ということは、文化史的にどういう意義があるのだろうか。これは、厳密な意味での復元ではない。(そもそも、もとがどのような状態であったのか、史料が存在しない。)

だが、無意味かというとそうではない。これには、さらに二つのことが考えられるであろう。

一つには、技術の継承ということ。宮大工の西岡常一の仕事を、受け継ぐことのできる弟子が、このプロジェクトのなかから生まれてきたことである。

二つには、宗教的意味。薬師寺という仏教寺院の宗教にかかわる側面としては、金堂の再建は、とにかく意味のあることである。

このようなことを総合的に考えてみるならば、文化財としての金堂再建も意味のある仕事ということになる。

以上の二点が、この番組を見ていて思ったことなどである。

さて、春から再放送してきたプロジェクトXであるが、これでひとまず終わりになるようだ。いろいろ毀誉褒貶のあった番組だとは思うが、今から二〇年ほど前の放送を再放送で見て、これは、昭和戦後の日本のある時代の姿を映し出している番組であると感じるところがある。いくつかの番組は、一般の人びとの生活誌に密着したものでもあった。再放送を見ながら、いろいろと考えるところのあった番組である。

2021年9月15日記



『ホテル・アイリス』小川洋子2021-09-18

2021年9月18日 當山日出夫(とうやまひでお)

ホテル・アイリス

小川洋子.『ホテル・アイリス』(幻冬舎文庫).幻冬舎.1998(学習研究社.1996)
https://www.gentosha.co.jp/book/b2450.html

続きである。
やまもも書斎記 2021年9月13日
『刺繍する少女』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/13/9422715

作家、小説家という仕事をしていると、どうやらこの手の作品を書いてみたくなるものらしい。小川洋子の書いた、官能小説(といっていいだろう)である。

若いわたし。謎の老人。ロシア語の翻訳をしているという。その二人の関係。かなりエロティシズムを感じさせる小説なのだが、ここは小川洋子の作品である、そんなに淫靡な雰囲気はない。どちらかというと、からりと乾いた印象がある。

小川洋子の作品を読もうと思って、買って書斎の床に積んであるものから順番に読んでいったということで、この作品になった。このような作品を書く作家であるということも、ある種の発見といっていいかもしれない。

官能小説ということではなく、その部分を割り引いたとしても、これは小説として面白い。ホテルで母とくらす主人公と謎の老人との物語として、ストーリーのなかにはいりこんでいく。そう長い小説でもないが、一気に読んでしまった。少女と老人の物語として、十分に読んで面白い。

さて、次はどのような作品を読むことになるだろうか。

2021年6月3日記

追記 2021年9月25日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年9月25日
『アンジェリーナ』小川洋子
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/25/9426791

『おかえりモネ』あれこれ「伝えたい守りたい」2021-09-19

2021-09-19 當山日出夫(とうやまひでお)

『おかえりモネ』第18週「伝えたい守りたい」
https://www.nhk.or.jp/okaerimone/story/week_18.html

前回は、
やまもも書斎記 2021年9月12日
『おかえりモネ』あれこれ「わたしたちに出来ること」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/12/9422414

この週はいろいろとあった。印象に残っていることとしては、次の二つぐらいだろうか。

第一には、モネと菅波。

モネと菅波が、汐見湯で会っているところが面白かった。二人の距離はちぢまっているようであり、あるいは、なかなか一つにならないようでもあり、微妙である。が、徐々に一緒にいることになじんできているようだ。といっても、東京と登米とで、かなり距離がある。

モネは、百音さんと呼ばれたくないらしい。まだ、菅波も、光太朗さんとはいわれたくないらしい。このあたりの関係が面白い。

そういえば、ナレーションをしている祖母……たしか、今は木の芽に転生しているはずだが……も、一般的に語るときには、百音といい、その百音に語りかけるような場面では、モネと言っていると思うが、どうだったろうか。

第二は、台風と気象情報のこと。

猛烈な台風がやってくる。そして、水害が起こる。ここのところで、気象情報はいかにあるべきか、誰にいつどのような手段で情報を伝えるべきなのか。その情報は確実なものなのか。

ここは、いろいろと考えるところである。

ニュースがすでに起こった災害を伝えるとするならば、気象情報はこれからおきるであろう災害にそなえるためのもの、とでもいうことになるのだろうか。

そして、モネの考えている、身近な人、地元の人のために、情報を伝えたいという思いは、これはこれとして、一つの考え方といっていいのだろう。

以上の二つが、印象に残っていることなどである。

この週では、モネが、コサメちゃんと傘イルカくんを手にもっているシーンはなかったが、そのマスコットの人形が、オフィスの机の上においてあった。

次週、気仙沼での竜巻をうけて、物語は展開するようである。楽しみに見ることにしよう。

2021年9月18日記

追記 2021年9月26日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年9月26日
『おかえりモネ』あれこれ「島へ」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/26/9427066

『楡家の人びと 第一部』北杜夫2021-09-20

2021-09-20 當山日出夫(とうやまひでお)

楡家の人びと(第一部)

北杜夫.『楡家の人びと 第一部』(新潮文庫).新潮社.2011(新潮社.1964)
https://www.shinchosha.co.jp/book/113157/

『楡家の人びと』については、何年か前に読んで書いている。

やまもも書斎記 2017年4月8日
『楡家の人びと』北杜夫
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/04/08/8448584

やまもも書斎記 2017年4月10日
『楡家の人びと』北杜夫(その二)
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/04/10/8453740

やまもも書斎記 2017年4月12日
『楡家の人びと』北杜夫(その三)
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/04/12/8460638

やまもも書斎記 2017年4月13日
『楡家の人びと』北杜夫(その四)
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/04/13/8468203

やまもも書斎記 2017年4月14日
『楡家の人びと』北杜夫(その五)
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/04/14/8478445

やまもも書斎記 2017年4月15日
『楡家の人びと』北杜夫(その六)
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/04/15/8481451

やまもも書斎記 2017年4月26日
『楡家の人びと』北杜夫(新潮文庫)の解説
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/04/26/8500008

やまもも書斎記 2017年5月3日
『楡家の人びと』北杜夫(その七)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/05/03/8512351

『楡家の人びと』は、私がこれまで読んできた小説のなかで、最も多くの回数読みかえしてきたものの一つである。若いとき、中学生だったか、高校生だったか、新潮社の単行本で買って読んだのを覚えている。若いとき、何度もくりかえし読んだ。

中公文庫の『静謐』で、短篇集を読んだら、無性に『楡家の人びと』をもう一度読んでみたくなったので読んでいる。

やまもも書斎記 2021年9月7日
『静謐』北杜夫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/07/9420414

この作品を読んで思うことは、すでに書いてしまったと思うのだが、さらに読んで思うことを書いてみるならば、次の二点になるだろうか。(第一部まで読みなおしたところで、であるが。)

第一には、『静謐』のときにも書いたことだが、作品としての「品の良さ」である。ユーモアがあり、叙情性がある作品であるが、それらの根底にあるのは、一種の上質さ、「品の良さ」とでもいうべきものである。

楡基一郎、それから楡病院、精神病の患者たち……これらは、描きようによっては、いかようにもグロテスクに描けるものであると思うのだが、この作品には、そのような感じは微塵もない。余裕をもって描いている。そこに私は、作者ならではの、「品の良さ」としかいいようのないものを感じる。

第二には、やはり時代を描いていること。

第一部では、大正の半ばから、大正時代が終わるところまでを描く。世界では、第一次世界大戦があり、日本も、その余得にあずかった時代である。これも、今から振り返ってみるならば、平和なひとときであったということになるのかもしれない。

今年になってから、NHKが「映像の世紀」「新・映像の世紀」と再放送したのを見ていたが、小説を読みながら、テレビでみた歴史上の出来事の映像が浮かんでくる。この時代のことを、あくまでも、登場人物の視点によりそう形で、描いている。ドイツにおけるヒトラーも、徹吉のドイツ留学の一場面として出てくる。

それも、関東大震災で一変することになるのだが、その震災の有様、また、朝鮮人のことなど、その当時の市井の人びとの視線にたって描き出されている。これは、必ずしも、歴史に対して批判的な立場ということではなく、その当時の人びとにとって、その時代の出来事がどのように映じていたかという視点がつらぬかれている。

以上の二点が、第一部を読みなおしてみて、特に思うことなどである。

それにしても、やはり、楡基一郎という人物は、日本の近代の小説のなかで特筆すべき人物の一人ということになるだろう。これほど破天荒で、そして、魅力的な人物は、他に知らない。この楡基一郎が、この後、第二部、第三部にいたっても影をおとしていくことになる。まさに、楡基一郎あっての、楡病院なのである。

続けて、第二部以降を読むことにしたい。

2021年9月4日記

追記 2021年9月27日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年9月27日
『楡家の人びと 第二部』北杜夫
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/27/9427366