映像の世紀プレミアム(8)「アメリカ 自由の国の秘密と嘘」2021-10-01

2021-10-01 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム (8) アメリカ 自由の国の秘密と嘘

月曜日の放送。録画しておいて後日に見た。

この回は、主にアメリカのことをあつかっていた。自由と民主主義の国とされるアメリカであるが、実はその裏で、様々な陰謀や秘密工作がなされていたことを描いていた。これはこれとして、非常に興味深い内容であった。

だが、この番組は、二〇一八年の放送である。見ながら思ったことは、これは、あるいは、日本の政権……安倍政権の時代になる……への、批判であるのかもしれない、ということである。アメリカのことを描きながら、自由と民主主義に大切なものは何であるかを、淡々と語っているように思えた。

これは、まさに時の安倍政権への批判的眼差しに通じるものがある。

アメリカを描いて、これだけの番組を作れるということは、とりもなおさず、その記録映像が残っているからである。アメリカの歴史は決して明るい面だけではない。暗い部分もある。しかし、その記録が残っている。なかには、ケネディ暗殺事件のように、今にいたるまで未公開という資料もあるが、少なくとも記録が残っていることは確かなことである。

ひるがえって日本はどうか。ここ一〇年ぐらいの間に明らかになったことのひとつは、公文書の改竄、隠蔽、あるいは、そもそも記録を残さないという不作為……これらのことが、どれだけ、民主主義にとって害のあることなのか、痛感してきたといってもいいだろう。

アーカイブズ、記録、文書を残すことの意味、これを非常につよく感じた次第である。

2021年9月30日記

『原稿零枚日記』小川洋子2021-10-02

2021-10-02 當山日出夫(とうやまひでお)

原稿零枚日記

小川洋子.『原稿零枚日記』(集英社文庫).集英社.2013(集英社.2010)
https://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?jdcn=08745102946164000000

続きである。
やまもも書斎記 2021年9月25日
『アンジェリーナ』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/25/9426791

不思議な小説である。まあ、これを小説といってよいのならば、であるが。このような形式……日記の形式を借りた連作短篇といってしまえばそういえなくもない……も、また現代における、一つの文学のあり方なのだろうと思う。

たぶん、小川洋子という作家は、うそをつくのが好きなのだろう。いや、これは適切ではないかもしれない。架空の物語をつくって、人をだます、その世界に引き入れることの楽しさ、ということを十分に味わっているように感じる。日記という形式をつかうことによって、どこまでがホントのことで、どこからがウソのことなのか、その境界があいまいになる。小説全体を読んで、なるほどこういう趣向の作品だったのかと納得がいく。

この作品は、他の小川洋子の作品がそうであるように、天下国家を論じるというようなタイプではない。また、作者の内面深くおりて掘り下げていくというタイプでもない。ただ、小説という架空の話しがあって、それを読む楽しさを堪能させてくれる作家である。

一見するとグロテスクになってしまうかもしれないような題材でも、小川洋子の文章にかかると、不思議な透明感のあるものに変わってしまう。例えば、作品の最初の方にでてくる、苔料理の話し。一見するといかにも変わった、あるいはゲテモノ趣味という感じがしなくもないが、読んでいくとそんな雰囲気はまったくない。むしろ逆に、一種の爽やかさとでもいうべきものを感じる。

日記という形をとっている。現代文学において、フィクションを語るということの意味を考えてもみたくなる作品である。

2021年6月6日記

追記 2021年10月9日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年10月9日
『凍りついた香り』小川洋子
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/10/09/9430626

『おかえりモネ』あれこれ「気象予報士に何ができる?」2021-10-03

2021-10-03 當山日出夫(とうやまひでお)

『おかえりモネ』第20週「気象予報士に何ができる?」
https://www.nhk.or.jp/okaerimone/story/week_20.html

前回は、
やまもも書斎記 2021年9月26日
『おかえりモネ』あれこれ「島へ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/26/9427066

モネは島に帰った。この週で思うことなど書、二点ほど書いてみる。

第一には、コミュニティFM。

モネは、気仙沼で、会社の痴呆営業所を始めることになる。そこで、まず手をつけることになったのが、地元のFMラジオ局である。ここで、気象情報を担当することになった。

モネは、地元に密着した気象情報をとどけようとするが、いまひとつうまくいかないようでもある。(まあ、詳しい情報を放送すればいいというものでもないだろう。)これも、最終的には、地元の祭りの開催の可否の判断とかアワビ漁とかにかかわることになり、どうにか地元の人に受け入れられたようである。

ここでは、とにかく地元の人びととともにありたいという、モネの強い思いが出ていたと思う。

第二には、りょーちんのこと。

地元のためにはたらきたいと思って帰ってきたモネに対して、りょーちんは批判的である。東京でのテレビの仕事を辞めて地元にもどってきたことを、あまりよく思っていないようである。

たしかに、りょーちんとしてみれば、震災このかた、ずっと地元にいて、不幸な目にもあい、父親の面倒もみたりしながら、どうにかこうにかして、一人前の漁師になったということもある。そのりょーちんからすれば、地元を離れてしまっていたモネのことは、あまりいい印象を持たないということもなるのであろう。

以上の二つぐらいが、この週を見て思ったことなどである。

ともあれ、FM局での仕事を通じて、地元にためにモネは働こうとしている。そのモネも、菅波も応援している。

そして、(どうでもいいことかもしれないが)コサメちゃんと傘イルカくんも、気仙沼にやってきてる。(さらにどうでもいいこととしては、コサメちゃんと傘イルカくんは、NHKの気象番組にも登場するようになっている。)

次週からモネ気象予報士していの仕事はどう展開することなるのだろうか。このドラマも、放送は、残り少なくなってきている。楽しみに見ることにしよう。

2021年10月2日記

追記 2021年10月10日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年10月10日
『おかえりモネ』あれこれ「胸に秘めた思い」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/10/10/9430865

『楡家の人びと 第三部』北杜夫2021-10-04

2021-10-04 當山日出夫(とうやまひでお)

楡家の人びと(三)

北杜夫.『楡家の人びと 第三部』(新潮文庫).新潮社.2011(新潮社.1964)
https://www.shinchosha.co.jp/book/113159/

続きである。
やまもも書斎記 2021年9月27日
『楡家の人びと 第二部』北杜夫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/27/9427366

第三部まで読んだ。ここでは、主に戦時中(太平洋戦争)が舞台になる。この作品を、数年ぶりに再読してみて思うこととしては、次の二点ぐらいだろうか。

第一には、死である。

以前に『楡家の人びと』を読んだときには、さほど感じなかったのだが、この小説は、「老い」と「死」の小説でもある。たしかに、何人かの登場人物は、作中で亡くなる。また、時の経過とともに年老いていく。そこで、それぞれの「老い」の姿がしみじみと描かれることになる。

また、太平洋戦争の戦争や空襲の場面では、日常的に「死」と隣り合わせにある。

そして、「死」と「老い」の視点から描写される、季節の風物のなんと抒情的なことかと感じることになる。

第二には、時代である。

第一部では大正時代、第二部では昭和の初期、第三部では太平洋戦争と、それぞれの時代が描かれる。この小説を読んで、まさに近代の日本の歴史の流れを描いていると、強く共感するところがある。いや、あるいは逆かもしれない。このような小説があることによって、近代の日本の時代のイメージが、文学的に読者のなかに形成されていくことになるのだろう。

ともあれ、日本の近代ということを考えるうえで、最も重要な位置にある小説の一つであるとはいっていいだろう。

以上の二点ぐらいのことを、思って見る。

が、何よりも、この小説は面白い。これにつきるかもしれない。市井の人びと……といっても、その多くはちょっと変わっているのだが……を登場人物として、大正から昭和戦前までの時代を主な背景として、まさに日本のある時代を描いている。そして、ユーモア、ヒューマニズム、叙情性、これらがないまざって、一つの小説世界を構築している。

もし可能ならば、時間をおいて、さらに読みかえしてみたい作品の一つである。また、北杜夫の作品のいくつかは、いまでも文庫本などで読めるものがある。これらについても、読んでおきたい……多くは若いときに読んでいるので再読ということになるが……年をとってから、どのように感じるか、読みなおしてみたいと思っている。

2021年9月8日記

『青天を衝け』あれこれ「栄一、改正する」2021-10-05

2021-10-05 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第29回「栄一、改正する」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/29/

前回は、
やまもも書斎記 2021年9月28日
『青天を衝け』あれこれ「篤太夫と八百万の神」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/28/9427662

明治になったが、新政府のドタバタ騒ぎはつづいている。この週を見て思ったことなどとしては、次の二点ぐらいだろうか。

第一には、改正掛。

栄一は、新しい国家建設ということを考えている。そのためには、既存のいろんな制度の枠組みをこえて、新しいことを企画し実行する部署が必要になる。そのため、改正掛というのをつくることになる。この改正掛で、いくつかの新しい事業を進めることになった。

しかも、ここには、討幕の側の薩長のみならず、旧幕臣も多く加わることになる。この人材がなければ、明治新政府はどうなっていただろうか……というあたりのことであった。

しかし、この改正掛も、大久保や岩倉の目には、よくうつっていないようだ。

第二は、郵便制度。

具体的に、改正掛の仕事として描かれていたのは、郵便制度の設立。これも、まったく新しく作ったという側面(欧米の制度を参考にしてということもあるが)、その一方で、旧来の江戸時代からのさまざまな社会的インフラのうち、使えるものは使うということでもあったろう。

ともあれ、前島密の発案ということで、郵便事業がはじまる。

そういえばであるが、「郵」という漢字は、郵便以外ではあまりつかうことのない漢字でもある。この漢字の使用、命名の発案ということも、改めて考えてみたりしたことでもある。

以上の二点が、この回を見て思ったことなどである。

渋沢は語っていた……壊すのではなく、作るのである、と。これからの明治の時代、そして、大正から昭和にかけて、渋沢栄一の生涯は、新しい日本の国家、経済、社会を作っていくことだったのだろうと思う。(その渋沢栄一も結果的には、昭和のはじめに亡くなり、戦争の時代を見ることはなかったのだが。)

次週以降、さらに明治編はつづくことになる。このドラマの放送も、三ヶ月ということになった。どのような近代をきずいていくことになるのか、楽しみに見ることにしよう。

2021年10月4日記

追記 2021年10月12日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年10月12日
『青天を衝け』あれこれ「渋沢栄一の父」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/10/12/9431445

アレチヌスビトハギ2021-10-06

2021-10-06 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので花の写真の日。今日は、アレチヌスビトハギである。

前回は、
やまもも書斎記 2021年9月29日
ヤブラン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/29/9427908

いわゆる「ひっつきむし」になる草である。我が家の敷地のところどころに見ることができる。

秋になったころに、ピンク色の小さい花をつける。この花それ自体は、見ていて非常にかわいらしい。だが、ひっつきむしになると困るので、適当に引き抜いたりはしている。

先月のうちに撮影しておいたものからである。今見ると、もうこの花も終わりかけになっていて、実が見える。これは、すぐに服などのくっつく。なかなかやっかいである。

一〇月になって、見ていると、ようやく杜鵑草の花が咲きはじめている。我が家の近くにある柿の木の実も色づいてきているようである。

アレチヌスビトハギ

アレチヌスビトハギ

アレチヌスビトハギ

アレチヌスビトハギ

アレチヌスビトハギ

アレチヌスビトハギ

Nikon D500
TAMRON SP AF 180mm F/3.5 Di MACRO 1:1

2021年10月4日記

追記 2021年10月13日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年10月13日
彼岸花
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/10/13/9431712

『教科書名短篇-科学随筆集-』中公文庫2021-10-07

2021-10-07 當山日出夫(とうやまひでお)

教科書名短篇

中央公論新社(編).『教科書名短篇-科学随筆集-』(中公文庫).中央公論新社.2021
https://www.chuko.co.jp/bunko/2021/09/207112.html

中公文庫のシリーズである。これまでに刊行になったのは、読んできている。

やまもも書斎記 2020年3月13日
『教科書名短篇-人間の情景-』中公文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/03/13/9223694

やまもも書斎記 2020年3月14日
『教科書名短篇-少年時代-』中公文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/03/14/9223989

やまもも書斎記 2021年6月7日
『教科書名短篇-家族の時間-』中公文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/06/07/9385430

これもこれまでのものと同様に、戦後の中学校の国語教科書に載った文章のアンソロジーである。

収録されているのは、次の科学者たち。

寺田寅彦
中谷宇吉郎
湯川秀樹
岡潔
矢野健太郎
福井謙一
日高敏隆

面白いのでいっきに読んでしまった。読んで思うこととしては、次の二点ぐらいがあるだろうか。

第一には、エッセイとしての面白さ。

「科学随筆」となっているが、どれも一級のエッセイである。読んで面白い。教科書に採録されるぐらいだから、そう難しい話しということではないし、また、長いものでもない。短ければ数ページぐらいである。そのなかに、文章としての面白さを感じる。

第二には、科学ということ。

一般に、「科学技術」ということばがあるように、科学は技術と結びついて語られることが多い。しかし、この文庫に採録の文章は、純粋に知的ないとなみとしての、科学にかぎって話しが進行する。テクノロジーについてのことは、ほとんど出てこない。

これは、中学生むけの教科書ということで、このような選択になったのかとも思われる。人間の知的ないとなみとして、自然と向き合って、何を知りうるのか、それを知るためにはどうするべきなのか、あるいは、逆に分からないことは何なのか……まさに「知」ということについて、誠実に答える文章になっている。

以上の二点が、この文庫本を読んで思うことなどである。

その他、たとえば、有効な数字として三桁あれば現実的に問題はないとする、中谷宇吉郎の文章など、円周率を、3.14で覚えてきたことを思い出して、いろいろと考えることがある。

さて、日本において、中等教育における国語教育が大きく変わろうとしている。これから、この種の科学的な読み物は、どのようにあつかわれることになるのだろうか。

上質の科学エッセイは、子どもにとって、科学へのとびらとなるにちがいない。これからも、このとびらは閉ざさないでいてほしいものである。

2021年10月4日記

映像の世紀プレミアム(9)「独裁者 3人の“狂気”」2021-10-08

2021-10-08 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム(9) 独裁者 3人の“狂気”

再放送である。これも録画しておいて、後になってからゆっくりと見た。たしか、この放送は見たと覚えている。そのときのことは、書いたかと思うので、あまり重複することは繰り返さないことにするが、思ったことなど思いつくままに書いてみる。

やまもも書斎記 2018年6月18日
映像の世紀プレミアム「独裁者3人の“狂気”」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/06/18/8896694

同じことは繰り返し書きたくないとは思うものの、やはり再放送を見て思うこととしては、スターリンのヒトラーの評価のことがある。ムッソリーニのイタリアは、内部から崩壊した。スターリンのソ連は、スターリンの時代に崩壊ということはなかったが、その後内部からの崩壊ということになった。東欧諸国も同様である。

だが、独裁者であるヒトラーがひきいたナチス・ドイツは、内部からの崩壊はなかった。たしかに、歴史を見れば、反ヒトラーの動きはたしかにあった(放送では、ここのところには触れることがなかったが。)しかし、ナチスが消えたのは、戦争に負けたからであり、その内部からの反独裁の動きで潰えたというのではない。

これは、ヒトラーの統治のたくみさといっていいのだろう。今の歴史の評価として、ヒトラーを評価することはない。しかし、その統治の手法は、きわめてたくみであり、今日においても、研究の必要のあるところだろう。ただ、悪の独裁者と烙印をおしてしまえばいいというものではない。

それから、思うことは、独裁政権は崩壊するということである。(上述のように、ヒトラーだけは、例外的に考えるべきかもしれないが。)

番組は、ルーマニアのチャウシェスク政権の崩壊からはじまっていた。そして、主に、ムッソリーニ、ヒトラー、スターリンと描いてきて、最後のところに登場したのは、プーチンだった。そのプーチンの横に並んで映っていたのは、習近平であった。(ただ、ナレーションは、このことについては一切ふれていなかったが。)

スターリンの時代、そこにすりよってきたのは、また、独裁者たちだった。チトー、キム・イルソン、毛沢東、など。

そのスターリンの時代において、あるいは、スターリンの死後においても、社会主義国ソ連を賛美する声がなくなったということはない。東西冷戦の時代、社会主義賛美の声は、非常に大きなものがあったと、私などは記憶している。

二一世紀になった今も、独裁の国家は世界に多数ある。民主主義より、独裁の方が効率的に統治できるということなのかもしれない。さて、世界に多くある独裁国家が崩壊するとして、その様子を、生きているうちに、報道などで接することがどれほどあるだろうか。年をとったと感じる今になっては、このようなことを思ってみるのである。

2021年10月7日記

『凍りついた香り』小川洋子2021-10-09

2021-10-09 當山日出夫(とうやまひでお)

凍りついた香り

小川洋子.『凍りついた香り』(幻冬舎文庫).幻冬舎.2001(幻冬舎.1998年)
https://www.gentosha.co.jp/book/b2862.html

続きである。
やまもも書斎記 2021年10月2日
『原稿零枚日記』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/10/02/9428700

読み始めは、ごく普通の小説である。小川洋子を適当に読んでいるのだが、この作品の前に読んだのがたまたま『原稿零枚日記』だったので、読み始めて、ごく普通の小説という印象を持って読み始めた。

小川洋子は、このような普通の感じの小説も書くのかと思って読み進めることになったのだが、途中で混乱する。舞台は、プラハと日本を行ったり来たりする。また、物語の時間も、過去と現在を行ったり来たりする。なんとも幻想的な、そして、小川洋子ならではの透明感のある描写で、物語は進行する。

登場するのは、調香師の男性。そして、のパートナーである女性。男性の弟。その他、幾人かの周辺の登場人物が出てくる。が、そんなには混乱することなく、一冊を読み終えてしまった。

いろんな題材がちりばめられている。調香師、スケート、プラハの街、数学、などなど。これらが渾然となって、小川洋子の文学世界を形成している。読み終わって何かが残るという作品ではなく、その小説を読んでいる時間をじっくりと味わうという作品である。

強いていうならば、男性の死をめぐって、その死後に、過去の物語を語る、さぐっていくということになるのだが、謎解きという印象はあまりない。少なくとも、私が読んだ印象としては、あまり強く感じない。

読んでいる時間を大切にする、そんな文学もあっていいのだと思う。

2021年6月9日記

追記 2021年10月14日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年10月14日
『いつも彼らはどこかに』小川洋子
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/10/14/9431966

『おかえりモネ』あれこれ「胸に秘めた思い」2021-10-10

2021-10-10 當山日出夫(とうやまひでお)

『おかえりモネ』第21週「胸に秘めた思い」
https://www.nhk.or.jp/okaerimone/story/week_21.html

前回は、
やまもも書斎記 2021年10月3日
『おかえりモネ』あれこれ「気象予報士に何ができる?」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/10/03/9428979

この週は、モネをめぐる人びとのいろんな思いが描かれていた。三人ばかりあげてみる。

第一に、未知。

未知は、水産業の研究で着実に成果を出している。その未知は、東京の大学に進もうかという思いがある。その一方で、家の牡蠣養殖の後を継ぐということも課題になってくる。さらには、りょうーちんのこともある。これらの間で、未知は思い悩むことになる。

第二に、あかり。

モネのラジオ局を訪れた中学生。話しを聞いてみると、昔、モネの母親(亜哉子)にならったという。震災の後、引っ越して行って、また気仙沼に帰ってきた。学校には行ったり行かなかったりのようだ。いったい自分には何がしたいことなのか、悩んでいる様子である。

第三に、亜哉子。

モネの母親である亜哉子は、震災の時、小学校の先生をしていた。その非常時の場合、何を優先に考えるべきなのか。学校の子どもたちのことなのか。あるいは、自分自身の家族のことなのか。これは、そう簡単に答えの出ない問題だとも思う。だが、その悩みのなかで、結局、亜哉子は教師を辞めることになった。その思いを、あかりとの再会を契機にして、やっとみんなの前で語ることができた。

やはり、これは震災の被災地ならではの思いというべきだろう。

以上の、三人ぐらいのことが印象に残る。

このドラマも、あと三週である。次週は、気象予報士としてのモネの判断が重要な意味をもってくる展開になりそうである。楽しみに見ることにしよう。

2021年10月9日記

追記 2021年10月17日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年10月17日
『おかえりモネ』あれこれ「嵐の気仙沼」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/10/17/9432660