映像の世紀プレミアム(15)「東京 夢と幻想の1964年」2021-11-19

2021-11-19 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム (15) 東京 夢と幻想の1964年

これは、二〇二〇年の放送。二度目の東京オリンピック(これは延期ということになったが)に合わせての企画になる。その後、一年延期された東京オリンピックは、たしかに開催されたにはされたが、大して強い印象もなく過ぎてしまっている。

だが、一九六四年、昭和三九年のオリンピックの時のことは覚えている。私は、一九五五年、昭和三〇年の生まれである。東京オリンピックのことを、覚えている世代の限界に近いかもしれない。

覚えているといっても、その当時の世の中の雰囲気とか、テレビでの放送などを通じて、断片的に覚えているだけのことである。しかし、そうはいっても、私にとってのオリンピックといえば、なんといっても、一九六四年の東京オリンピックの印象が強い。

東京に住んでいたということではないので……住んでいたのは京都の宇治……東京オリンピックを契機にして、東京の町が大きく変貌したことについては、記憶がない。東京に住み始めたのは、大学に入ってからのことになる。そのとき、日本橋の上には、すでに高速道路が通っていた。丸善とか、何かの用事で三越に行くときなどに、日本橋の上を歩くことがあったろうか。しかし、これが「橋」であるという認識はまったくなかった。ただ、普通に道路を歩いていて、頭上に高速道路が走っている、その下をとっている道の一部ということで記憶している。それが、「橋」であることを知ったのは、かなり後になって、そこがかの有名な日本橋という「橋」であると知ってからのことになる。

見ていて思ったことなど書いてみると、次の二点ぐらいになる。

第一には、オリンピックの前と後の東京。オリンピックという祭典にもかかわらずというべきか、東京に暮らす人びとの、生活感を、映像から感じ取ることができる。平気で道路や川にゴミを捨てる人びとの姿。朝から満員のパチンコ屋の姿。これらの人びとの生活を記録した映像こそ、ある意味で貴重なものといえるだろうか。

第二には、やはり祭典としてのオリンピック。番組は、東京オリンピックにはかなり批判的な言説を紹介して作ってあったとはいうものの、それでも、多くの文化人たちが、オリンピックを礼賛していることに気づく。たとえば、小林秀雄。

以上の二点、東京で普通に暮らす人びとの生活感と、戦後復興の祭典としての東京オリンピックと、この矛盾するようなことがらを、この放送では、うまく編集して見せていたと思う。

私にとって、日本のよかった時代としては、一九六四年の東京オリンピックから、一九七〇年の大阪万博までの間という印象を強くもっている。これは、後になって形成されたイメージという面もあるにちがいない。だが、なにがしかのノスタルジーを持って過去を振り返るとき、この時代が良かった時代として思い出されることは、いたしかたのないことかとも思う。

だからこそというべきであろう……二〇二〇年に開催予定で、二〇二一年に延期開催となった今年のオリンピックには、今一つ関心がない。ましてや、次の万博を大阪で開くらしいのだが、まったく興味がない。何時に予定されているのかも知らないままである。オリンピックと万博、これは今後の日本の衰退のきざしとなるのかとも思う。

映像の世紀プレミアムも、このまま再放送が続くようである。次回はオリンピック。これは見ているのだが、さらに再放送も見ることにしよう。

2021年11月18日記