『現代文解釈の基礎 新訂版』遠藤嘉基・渡辺実2021-11-22

2021-11-22 當山日出夫(とうやまひでお)

現代文解釈の基礎

遠藤嘉基・渡辺実.『着眼と考え方 現代文解釈の基礎 新訂版』(ちくま学芸文庫).ちくま書房.2021(1963.1991.中央図書出版)
https://www.chikumashobo.co.jp/special/genbun-basic/

話題の本の一つということで読んでみた。読んで思うこととしては、次の二点ぐらいを書いておく。

第一には、国語学と国語教育。

この本を実質的に書いたのは、渡辺実だろうが、日本を代表する文法学者の一人である。その著書である、『平安朝文章史』『国語構文論』などは、出たときに買って読んだ。その後、『平安朝文章史』は、文庫本にもなったので、それも読んだ。

今、国語学とはいわなくなってしまっている。日本語学という。それで実質的にどう変わったということもないようなものだが、ただいえることとしては、日本語学になってから国語教育とのかかわりが薄くなってしまったことはたしかだろう。そのかわりに関係を深めてきているのが、いわゆる外国人を対象とした日本語教育である。

読んでまず思ったことは、これが、『平安朝文章史』や『国語構文論』などを書いた学者の手になるものか、という率直なおどろきのようなものである。日本語の学問的研究において、今は忘れ去ってしまった、重要な何かをこの本は語りかけてくれる。

第二には、文学教育ということ。

日本の国語教育は大きく変わろうとしている。文学教育の他に、論理国語なるものが設定される。文学作品を読むことと、論理的な論説文や説明文を読むこととは、別のことがらとしてとらえるようになってきている。

だが、この本を読むと、このごろの国語教育改革が、いかに浅薄なものであるかがわかる。文学作品を的確に理解し読解していくことと、評論や論説文を読み解くこととの間に、本質的な違いがあるわけではない。どちらも日本語で書かれた文章なのである。

以上の二点のようなことを思って見る。

さらに書いてみるならば、読んで、『山月記』『俘虜記』などの文学作品、また、『「である」ことと「する」こと」』のような論説文、これらの解釈は実に面白い。なるほど、こういう論理構成で、このようなことを語っている文章だったのか、と思わず再確認して納得するところがある。

強いて難をいえば、なかで例文としてあげられている文章が、今日の観点からはちょっと古いかなという気がしないでもない。もう今では、亀井勝一郎の文章は読まれることはあまりないだろうし、その文学観もいささか古めかしい。

学生にすすめてみようと思って、行っている大学の図書館を検索してみたが、この本は収蔵されていないようである。高校生向けの学習参考書だから、大学図書館ではいれないのも、そうなのかと思う。が、今般、ちくま学芸文庫という形で再刊された本でもあるので、これは大学生にもひろく読まれることを期待したい。

2021年11月21日記