映像の世紀プレミアム(16)「オリンピック 激動の祭典」2021-11-26

2021-11-26 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム(16) オリンピック 激動の祭典

順次、再放送を見ていっている。録画しておいて、後日ゆっくりと見ることにしている。これは、以前の放送のときに見た記憶がある。二〇二〇年の放送。まさに、二度目の東京オリンピック(これは、延期ということになったのだが)に合わせた企画であった。

見て思うことはいろいろある。思いつくままに書いてみる。

レニ・リーフェンシュタールの映像の美しさが光っている。今、映画史のなかで、どのように評価されているのかは知らないのだが、しかし、この放送で使用された場面だけを見る限りでも、その映像美というものを感じ取ることができる。

大きくとりあげられていたのが、マラソン。日本の最初のマラソン選手であった金栗四三。それから、日本統治下の朝鮮から出場した、孫基禎。二〇一九年のNHKの大河ドラマ『いだてん』では、金栗四三は主人公として大きく取り上げられていたが、孫基禎はほとんど触れられることがなかった。これは、ドラマの題材としてあつかうには、デリケートな問題であるということなのだろうか。

以前の放送のときにも思ったことなのだが、オリンピックの歴史ということで作った番組であるにもかかわらず、出てこなかったのが、ミュンヘン・オリンピックのテロ事件。が、これも、映像の世紀プレミアムで、以前に取り扱っているので、ここはあえて触れなかったということかもしれない。

メキシコ・オリンピックのことは、なんとなく覚えているのだが、陸上競技での人種差別抗議の事件のことは記憶にない。(今年、行われた、二〇二一の東京オリンピックでは、政治的行動もある程度は許容されるということのようだったが、しかし、オリンピックについては、ほとんどテレビなど見ていないので、実際どうだったのか分からない。)

番組であつかっていたのは、一九八八年のソウル・オリンピックまでであった。ここで、孫基禎が登場していた。

モスクワ・オリンピックとロサンゼルス・オリンピックの、東西両陣営のボイコットのことは、ニュースでは知っていた。しかし、このオリンピックのころは、テレビの無い生活をしていたころなので、その競技の実際については、ほとんど記憶がない。

一九六四年の東京オリンピックについては、ほとんど触れることがなかった。これは、この映像の世紀プレミアムの前の回が、一九六四の東京をテーマとしたものであったから、あえて省いたということでいいのだろう。

それにしても、改めてオリンピックの歴史を振り返ってみて、今年(二〇二一)の東京オリンピックの、なんと空疎なことかと感じるところがある。その商業主義だけは巨大化しているものの、スポーツの祭典という意義は、いったいどこにいってしまったのだろうか。まったく印象に残らない大会であった。あるいは、逆説的には、VOVID-19パンデミックのなかで、あえて開催したオリンピックということでは、歴史に残る大会になったのであろうが。

2021年11月25日記

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