『小箱』小川洋子2021-11-11

2021-11-11 當山日出夫(とうやまひでお)

小箱

小川洋子.『小箱』.朝日新聞出版.2019
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=21398

続きである。
やまもも書斎記 2021年11月8日
『博士の愛した数式』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/08/9438515

文庫本で刊行されている小川洋子の作品は、たぶん読み切ったかと思うので、単行本を読むことにした。二〇一九年の刊行。小川洋子としては、近年の作品ということになる。

読んで思うことは、これはまぎれもなく小川洋子の作品だな、ということ。透明感のある文章、ちょっと不思議な人びと、ちょっと風変わりなできごと……だが、この作品になって、今一つ、作品の焦点が一つにならないと感じてしまう。

物語の主な舞台は、廃園になった幼稚園。そこでくらす一人の女性。そこには、かつて幼稚園として使われていたときの名残がのこっている。だが、そこに集まってくるのは、死んだ子どもたちの遺品とでもいうべきもの。

まさに小川洋子ならではの設定である。そう長くもない作品なので、ほぼ一気に読んでしまったのだが、あまりはっきりしたイメージで読むことができないままに終わってしまった。どうも、物語の運びが、浮世離れしている……まあ、小川洋子の作品はどれもそうだともいえるのだが……逆にとらえてみるならば、リアリズムの小説として読むのではないということになる。

とはいえ、本を読んでいる時間、小川洋子の世界にひたっていることはできる。小川洋子でなければ書けない世界が確かにここにはある。

2021年7月2日記

追記 2021年11月15日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年11月15日
『約束された移動』小川洋子
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/15/9440405

映像の世紀プレミアム(14)「運命の恋人たち」2021-11-12

2021-11-12 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム (14) 運命の恋人たち

二〇一九年の放送のときは、見たのを覚えている。二年ほど前のことになる。見た印象としては、さほど大きく変わったことはない。

性についての意識も、歴史とともにある。これからの社会がどうなるかわからないが、社会的な性ということをぬきにして、これからの社会を語ることはできないだろう。

なぜ、NHKは、この企画において日本の事例を出さなかったのだろうか。グレース・ケリーの結婚が、王家と「平民」との間の結婚ということで問題になったとしたなら、日本においても、事例がある。

前回見たときは気づかなかったが、今回気づいたこととして、グレース・ケリーのことを、「平民」とナレーションで言っていた。このことば、久しぶりに聞いたような気がする。

それから、戦争、あるいは、独裁ということと性のあり方という観点からも興味深い。独裁国家において、性の多様性が認められないというのは、今にはじまったことではなかろう。

ナチスにおける、ゲッベルスの役割は、まさに独裁国家において、「家族」のかたち、「性」のかたちを、国民に印象づけることにあったことになる。戦時、独裁体制のもとで、どのような「家族」のあり方がもとめられることになったか、これは、我が国の事例についても考えてみる価値のあることだろう。

ところで、グレース・ケリーは、確か『裏窓』を映画館で見たかと覚えている。イングリッド・バーグマンも、若いとき、どこかの名画座でその作品を見たはずである。どこで、どの映画であったは、忘れてしまっている。

2021年11月11日記

『渋沢栄一 上 算盤篇』鹿島茂2021-11-13

2021-11-13 當山日出夫(とうやまひでお)

渋沢栄一(上)

鹿島茂.『渋沢栄一 上 算盤篇』(文春文庫).文藝春秋.2013(文藝春秋.2011)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167590079

渋沢栄一について本を読んでおこうと思って手にした。他に以前に「渋沢栄一」とある本を読んだことはあるので、その人生、事跡の概略は知っているつもりだったが、NHKの『青天を衝け』も、残り二ヶ月となって、本を読んでおきたくなった。

鹿島茂の本は、いくつか読んだこともある。が、この『渋沢栄一』は、始めてである。この本の大部分は、『諸君!』に連載されたものである。『諸君!』は、時として手にすることのあった雑誌ではあるのだが、この連載を特に読んだという記憶はない。(まあ、雑誌を読むことはあっても、連載まであまり読まないのが、私の通例である。)

読んで、この本は面白い。読んで思うところを三点ばかり書いておく。

第一には、渋沢栄一の評伝としてよくできている。特に、幕末以降、一橋家への仕官から後、パリ行き、帰国して大蔵省、その後民間の経済人として生きることになる……このあたりを中心に、その事跡を丹念にたどってある。渋沢栄一の生きた時代と人生が、かなり詳細に記される。

第二には、渋沢栄一を、サン=シモン主義から分析、評価していることである。サン=シモン主義とは、ちょうど渋沢栄一がパリに居たころに、フランスの経済界を牽引していた考え方。カトリックの国でありながら、(フランス版の)「資本主義の精神」を体現した考え方ということになる。それに触れることになり、そして日本にもたらしたのが、渋沢栄一である。

第三には、「官」ではなく「民」、また、「官」ではなく「公」という、渋沢栄一の基本的な生き方。ただ、渋沢栄一が、利潤のみを追求する経済人であったなら、日本の近代の経済、あるいは、社会は、ちがったものになっていたであろう。

だいたい、以上の三つぐらいのことを思って見る。

今、NHKの『青天を衝け』は、明治の初めごろである。大蔵省を辞めて、第一国立銀行を作ったあたりのところである。この本を読むと、これまでドラマで描いてきた、各種の場面、エピソードが、こういう史料をつかって、このような意味を持っていたことなのかと、いろいろと気づかされるところが、いくつもある。

あるいは、この本は、ドラマが始まるまでに読んでおくべき本だったかもしれないとも思う。残りは下巻(算盤篇)がある。近代の日本の経済と社会、そのなかでの渋沢栄一を描くことになる。続けて読むことにしよう。

2021年10月31日記

追記 2021年11月18日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年11月18日
『渋沢栄一 下 論語篇』鹿島茂
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/18/9441086

『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第2週」2021-11-14

2021-11-14 當山日出夫(とうやまひでお)

『カムカムエヴリバディ』第2週
https://www.nhk.or.jp/comecome/story/details/story_details_02.html

前回は、
やまもも書斎記 2021年11月7日
『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第1週」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/07/9438225

このドラマは名作である。第2週にして確信するところがある。

この週の背景となる時代は、日中戦争から、太平洋戦争の開始まで。徐々に世の中が、軍事色にかわっていくころになる。それでも、まだ世相としては、いくぶんの明るさを残していた時代ということになるのかもしれない。

印象に残っているシーンがいくつかある。

月曜日は、安子と稔の文通で展開していた。その手紙のやりとりを通じて、お互いの気持ちを確認するとともに、時代の流れも描くことになっていた。

大阪にいる稔を安子がたずねていき。川縁で夕陽を見るシーンはよかった。

そして、岡山に帰る安子を、稔もおいかける。橘の家で家族とあう。おつきあいさせてほしいときりだす。このときの安子のうれしそうな、少し困惑しているような表情がよかった。このとき、流れていたのは、渡辺貞夫の演奏だった。

勇と稔のキャッチボールの場面もうまいと思った。兄弟のそれぞれにすれちがうきもちが、うまく表現されていた。

最後は、一九四一年一二月八日の日米開戦のニュースであった。ラジオの英語講座も、これでおわりとなった。

次週、太平洋戦争の時代を描くことになるようだ。安子と稔のなかも、そう簡単にはいかないらしい。戦争の時代にあって、どのようにこの二人のことを描くことになるのか、楽しみに見ることにしよう。

2021年11月13日記

追記 2021-11-21
この続きは、
やまもも書斎記 2021-11-21
『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第3週」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/21/9441891

『約束された移動』小川洋子2021-11-15

2021-11-15 當山日出夫(とうやまひでお)

約束された移動

小川洋子.『約束された移動』.河出書房新社.2019
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309028361/

続きである。
やまもも書斎記 2011年11月11日
『小箱』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/11/9439278

これで、今、普通に手に入る範囲での小川洋子の小説は、だいたい読んだことになるだろうかと思っている。残りとしては、エッセイなどがあるが、これはまた別に考えて読むことにしようかと思う。

今年になって、ふと思いたって、小川洋子の作品を読み始めた。文庫本で気楽に読めそうなものからと思って、適当に見つくろって読んできた。(途中、山田風太郎の明治小説を読んでいた時期があったので、ちょっと中断してしまったのだが。)

この『約束された移動』は短篇集。次の作品をおさめる。

約束された移動
ダイアナとバーバラ
元迷子係の黒目
寄生
黒子羊はどこへ
巨人の挨拶

どれを読んでも、小川洋子の作品である。このなかで、私として印象に残っているのは、「寄生」だろうか。

小川洋子の作品は、「ささやき」である。大声でなにかを叫ぶというていのものではない。天下国家を論じるというものでもない。世の中のかたすみに生きている、それもちょっと変わった人、その心のうちの「ささやき」に、ひそかに耳をかたむける。そのささやかな声をなんとか聞き取ろうとする。

そして、一方で、どことなくユーモアがある。この短篇集では「寄生」がそうであるといっていいだろう。ユーモアといっても、声に出して笑うようなおかしさではない。読みながら、ふと微笑んでしまうような、おかしさ。このような場合、その小説のなかの当事者は、いたって生真面目である。それだけに、透明感のある小川洋子の文章でそれが描き出されるとき、どことなくユーモラスになってしまう。これも、小川洋子の作品の魅力の一つだろう。

小川洋子の次に誰を読むことにするか、読みそびれて積んである本を片づけて、ちょっと考えることにしたい。

2021年7月6日記

『青天を衝け』あれこれ「栄一、もてなす」2021-11-16

2021-11-16 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第35回「栄一、もてなす」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/35/

前回は、
やまもも書斎記 2021年11月9日
『青天を衝け』あれこれ「栄一と伝説の商人」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/09/9438782

この回の主役は女性たちといっていいだろう。アメリカから、前大統領グラント将軍が日本にやってくる。それを歓迎する任に栄一があたることになった。

かつて栄一は、パリに行ったことがある。そのときのことを思い出す。遠く異国を旅する人には、どのようなもてなしがふさわしいのか。日本が一等国になっていることを証明するための、絢爛たる舞踏会もいいのだろうが、それだけではない。もっと心あたたまるものが必要である。

グラント将軍は、栄一の家を訪問したいと希望する。それに栄一はあわてるが、妻の千代はなんとかそれにこたえることになる。

ここで描かれていたのは、明治の時代に一等国になろうとして……不平等条約を改正したい……必死になっている日本の姿であったかもしれない。歴史の結果として、これが可能になるのは、日清戦争、日露戦争という対外戦争を経ての後のことになるのだが。

そして、栄一の仕事をささえた千代の内助の功というべきものである。また、登場していたその他の女性たちもそうだろう。

見ていて、ふと、山田風太郎の明治小説『エドの舞踏会』を思い出した。御一新から明治にかけて生きた、女性たち……主に政治家の妻であるが……を、題材にした小説である。女性の立場から見た明治維新であり、明治という時代が描かれていたと覚えている。

飛鳥山での歓迎会のときに、グラント将軍が言っていたことが印象的である。西欧の列強諸国は、日本が近代化することを望んではいない。

飛鳥山の邸宅は、その後、栄一のかかわった民間外交の舞台となるものであるが、このドラマにおいて、これはどのように描かれることになるのであろうか。

明治天皇が登場してきていてもよかったようなものだが、出てきてはいなかった。

ところで、番組のなかで、コレラが出てきていた。次回、千代がコレラにかかるということなのだろうとは思うが、どうなるか心配である。史実としての結果は分かっていることなのだが。次回を楽しみに見ることにしよう。

2021年11月15日記

追記 2021年11月23日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年11月23日
『青天を衝け』あれこれ「栄一と千代」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/23/9442479

山茱萸2021-11-17

2021-11-17 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので写真の日。今日は山茱萸である。

前回は、
やまもも書斎記 2021年11月10日
杜鵑草
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/10/9439038

山茱萸の木を見ていると、季節の移り変わりを感じる。

春になると、まだ寒いうちであるが、黄色い花が咲く。その前に、丸い小さなつぼみから、中の黄色い花が見えるようになる。毎年、このころになると、もうじき春が近づいていることを感じる。

そして、夏になると青い実をつける。それが、秋になると黄色くなり、さらに赤くなる。実の色の変化を見ていると、秋の深まりを感じるようになる。この実は、鳥がたべてしまうのだろうか。いつのまにか、なくなっている。

今年は、夏に植木屋さんがかなり剪定してしまったせいだろうか、実のなるのが少ないように思える。それでも、写真に撮ってみようと思うと三つ四つぐらいを確認できた。

これから冬になって、来年の春になるころ、黄色い花を写すことができたらと思っている。

山茱萸

山茱萸

山茱萸

山茱萸

Nikon D500
TAMRON SP AF 180mm F/3.5 Di MACRO 1:1

2021年11月15日記

追記 2021年11月24日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年11月24日
綿毛
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/24/9442727

『渋沢栄一 下 論語篇』鹿島茂2021-11-18

2021-11-18 當山日出夫(とうやまひでお)

渋沢栄一(下)

鹿島茂.『渋沢栄一 下 論語篇』(文春文庫).文藝春秋.2013(文藝春秋.2011)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167590086

続きである。
やまもも書斎記 2021年11月13日
『渋沢栄一 上 算盤篇』鹿島茂
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/13/9439767

上巻の「算盤篇」につづいて読んだ。下巻になると、年代を追っての評伝というよりも、渋沢栄一のいろんなエピソードを、順次紹介してくというふうになっている。これは、これとして、渋沢の事跡についての語り方だろう。

読んで印象にのこることとしては、次の二点ぐらいを書いておく。

第一には、民間外交。

特に日米間の、移民問題をめぐって、渋沢栄一は、民間にあってその立場から尽力することになる。なるほど、このような努力があったのかと、いろいろと思うことが多くあった。

それにしても、このあたりの記述を読んでいて感じることは、渋沢栄一の努力の一方で、このような状況を作り出すにいたった、アメリカにおける日本人移民排斥の動き、これが興味深い。アメリカの日系人問題は、たぶん歴史的に研究されていることなのであろうが、あまり一般的には知られていないように思える。

そして、この日系人排斥の問題が、その後の、日中戦争、太平洋戦争の遠因になっていることを思うならば、渋沢栄一の努力は、今の時点からかえりみて、さまざまに学ぶところがあるかと思う。

第二には、渋沢の家族。

渋沢栄一は、艶福家である。強いていうならば、その方面のことは、『論語』には書いていないから、自由によろしくやっていたということになる。とはいえ、このあたりのことは、現代の日本の家族倫理規範からするならば、かなり問題のあることではあるが。

最初の妻、千代のことが興味深い。尊皇攘夷運動にあけくれ、またパリに行ってしまった渋沢栄一の家のことを、きちんと守りとおして、子どもを育てた。(この千代夫人のことについては、今年読んだ本として、山田風太郎の明治小説のどこかで触れてあったことを思い出す。)

以上の二点ぐらいが、「下巻」を読んで思うことである。

鹿島茂の『渋沢栄一』は、上下巻でかなりの分量になる。かなりの年月をかけて雑誌連載をつづけ、それが本になったものである。この本から学ぶこと、あるいは、描かれた渋沢栄一の事跡から学ぶことは、非常に多くある。ただ、渋沢栄一の評伝の一つということにとどまらず、日本の近代の資本主義のあり方、また、社会のあり方をめぐって、いろいろと考えることの多い本である。

2021年11月11日記

映像の世紀プレミアム(15)「東京 夢と幻想の1964年」2021-11-19

2021-11-19 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム (15) 東京 夢と幻想の1964年

これは、二〇二〇年の放送。二度目の東京オリンピック(これは延期ということになったが)に合わせての企画になる。その後、一年延期された東京オリンピックは、たしかに開催されたにはされたが、大して強い印象もなく過ぎてしまっている。

だが、一九六四年、昭和三九年のオリンピックの時のことは覚えている。私は、一九五五年、昭和三〇年の生まれである。東京オリンピックのことを、覚えている世代の限界に近いかもしれない。

覚えているといっても、その当時の世の中の雰囲気とか、テレビでの放送などを通じて、断片的に覚えているだけのことである。しかし、そうはいっても、私にとってのオリンピックといえば、なんといっても、一九六四年の東京オリンピックの印象が強い。

東京に住んでいたということではないので……住んでいたのは京都の宇治……東京オリンピックを契機にして、東京の町が大きく変貌したことについては、記憶がない。東京に住み始めたのは、大学に入ってからのことになる。そのとき、日本橋の上には、すでに高速道路が通っていた。丸善とか、何かの用事で三越に行くときなどに、日本橋の上を歩くことがあったろうか。しかし、これが「橋」であるという認識はまったくなかった。ただ、普通に道路を歩いていて、頭上に高速道路が走っている、その下をとっている道の一部ということで記憶している。それが、「橋」であることを知ったのは、かなり後になって、そこがかの有名な日本橋という「橋」であると知ってからのことになる。

見ていて思ったことなど書いてみると、次の二点ぐらいになる。

第一には、オリンピックの前と後の東京。オリンピックという祭典にもかかわらずというべきか、東京に暮らす人びとの、生活感を、映像から感じ取ることができる。平気で道路や川にゴミを捨てる人びとの姿。朝から満員のパチンコ屋の姿。これらの人びとの生活を記録した映像こそ、ある意味で貴重なものといえるだろうか。

第二には、やはり祭典としてのオリンピック。番組は、東京オリンピックにはかなり批判的な言説を紹介して作ってあったとはいうものの、それでも、多くの文化人たちが、オリンピックを礼賛していることに気づく。たとえば、小林秀雄。

以上の二点、東京で普通に暮らす人びとの生活感と、戦後復興の祭典としての東京オリンピックと、この矛盾するようなことがらを、この放送では、うまく編集して見せていたと思う。

私にとって、日本のよかった時代としては、一九六四年の東京オリンピックから、一九七〇年の大阪万博までの間という印象を強くもっている。これは、後になって形成されたイメージという面もあるにちがいない。だが、なにがしかのノスタルジーを持って過去を振り返るとき、この時代が良かった時代として思い出されることは、いたしかたのないことかとも思う。

だからこそというべきであろう……二〇二〇年に開催予定で、二〇二一年に延期開催となった今年のオリンピックには、今一つ関心がない。ましてや、次の万博を大阪で開くらしいのだが、まったく興味がない。何時に予定されているのかも知らないままである。オリンピックと万博、これは今後の日本の衰退のきざしとなるのかとも思う。

映像の世紀プレミアムも、このまま再放送が続くようである。次回はオリンピック。これは見ているのだが、さらに再放送も見ることにしよう。

2021年11月18日記

『戦争と平和』(一)トルストイ/望月哲男(訳)光文社古典新訳文庫2021-11-20

2021-11-20 當山日出夫(とうやまひでお)

戦争と平和(1)

トルストイ.望月哲男(訳).『戦争と平和』(一)(光文社古典新訳文庫).光文社.2020
https://www.kotensinyaku.jp/books/book316/

『戦争と平和』は、若いときに一通り読んだかと思う。それを、年をとってから、再度、読みなおしている。これまでに新潮文庫版、岩波文庫版と読んだ。

やまもも書斎記 2016年9月9日
トルストイ『戦争と平和』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/09/8175825

やまもも書斎記 2020年4月18日
『戦争と平和』(一)トルストイ/岩波文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/04/18/9236539

光文社古典新訳文庫でも、新しい訳が刊行になって、全巻が完結したので、これも読んでみることにした。訳が変わると、また印象も変わってくる。

しかし、思えば、『戦争と平和』もずいぶんと読みやすくなったものである。岩波文庫版には、各巻に登場人物の一覧、解説がついている。また、光文社古典新訳文庫版には、しおりに登場人物が系図として載って一覧できるようになっている。これは、ありがたい。

むかし、若いとき、『戦争と平和』を読んで難渋したのは、とにかく、登場人物の関係がわかりにくいことである。また、(これは私がものを知らないだけなのだが)ロシアとナポレオンとの戦争の経緯が、今一つ理解が及ばなかったところがある。

それが、今の訳本だと、登場人物一覧がついているし、また、解説としてその当時の時代背景などについて解説してある。これなら、どうにか読んでいける。

第一巻を読み終えたところであるが、思うこととしては……今回、望月哲男訳で読んでみて、印象に残るのは、ロシア貴族たちの、それぞれの家庭の事情というものである。このあたりは、読んでいてなるほどなあと興味深く読むことができた。以前に読んだときには、あまりに登場人物が煩雑で、どのファミリーのことを語っているのか分からずに読み進めたものである。それが、新しい訳だと、系図の形で登場人物が整理して示してあるので、どの家のことを読んでいるのか、分かりやすくなっている。

後期の授業が始まった。COVID-19の影響はあるというものの、教室での授業である。時間のあるときをみて、とにかく『戦争と平和』を読んでみたいと思っている。世の中が落ち着かないときには、こういう大きな作品をじっくりと読むのことができるかと思う。

2021年10月9日記

追記 2021-11-27
この続きは、
やまもも書斎記 2021年11月27日
『戦争と平和』(二)トルストイ/望月哲男(訳)光文社古典新訳文庫
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/27/9443468